生き方は人それぞれと言われても

たくさんの選択肢

みなさんは「クオーターライフクライシス」という言葉を聞いたことがありますか?そう言う私も、先日の聖教新聞に載っていたのを見て、初めて知りました。

聖教電子版 〈新連載〉 わたしの「そろそろ」はまだまだ。 #アラサー #そろまだ。
https://www.seikyoonline.com/article/0B09BF879D80EC725E923C94227630C6

 
「クオーターライフクライシス」とは、人生の4分の1(クオーター)が過ぎる20代後半から30代前半の人が、今後の人生や生き方に対する漠然とした不安や焦りにさいなまれることを指す言葉のこと。

性別に関わらず、30歳前後は仕事や結婚、出産など、さまざま選択を迫られることが(比較的)多い時期だと感じます。近年、私たちのライフスタイルは多様になっています。日本の転職者数は増加傾向にあり(「労働力調査の2023年平均結果」総務省)、女性の就業率も高まっています(令和6年版「男女共同参画白書」内閣府男女共同参画局)。人生の選択肢が増えた分、自分の選択が合っているのか迷う人も増えたのではないでしょうか。
 
特にSNSには、その不安に拍車をかける側面があると感じます。転職をして新しいスタート切った人や、子育て真っ最中という人の投稿がキラキラして見えてしまうこともあります。人と比べてもどうしようもないと分かっていても、そう簡単に割り切れないものです(その一方で、友だちが頑張っている様子を見て、元気をもらうこともあります)。
 
「自分の人生に決められた答えはない」ということに、改めて気付かされるのがこの「クオーターライフ」の年代なのかもしれません。もちろん、私たちの生き方は「人それぞれ」です。しかし、多くの選択肢の中から進路を選ぶ「自由」と「責任」が、他の誰でもない自分にゆだねられていると、気持ちがあっちへこっちへと揺らいでしまいます。

力をくれた存在

私も20代を過ごす中で、仕事や自分のライフプランについて、どうしたらいいのだろうかと思い悩んだ時もありました。そんな私に力をくれた存在がいました。

一つは学生時代からの友だちです。同じ年代だからこそ、同じ目線で悩みや葛藤を分かち合うことができました。一緒に駅伝大会にも出場したり、旅行に行ったり、楽しい思い出をたくさんつくってきました。

もう一つは、創価学会の同志です。地域ごとに開催される「座談会」では、老若男女が集って思い思いに語り合います。そこには、いつも学びや気付きがあります。

最近、人生で初めての引っ越しをして、新しい地域での会合に参加しました。ドキドキして会場に向かいましたが、「よく来たね~~~!」と、こちらが恐縮するほど大歓迎してくださいました。どこに行っても変わらない創価家族の温かさを、改めて実感しました。

また、私にとって刺激的なのが、学会の女性部の先輩方のお話を聞くことです。30~40代の女性部は、「ヤング白ゆり世代」と呼ばれています。この年代の方々の人生の歩みは本当に多種多様です。

ヤング白ゆり世代の集いに参加した時のこと。5人の子育てをしているある方は、いかに生活費を抑えるかという節約術を熱弁し、近所の安いスーパーを教えてくれた方もいました。また、ある方はお一人で子育てに励む様子を明るく話されていました。別の方は会社で管理職を担いながら学会活動にも奮闘する日々を語っていました。

年代も違えば、直面する課題も異なります。けれどもいろいろな生き方をしている方々と接する中で、ありのままの自分を受け入れてもらえる安心感を覚えます。そんな場所に身を置いていると、自然と私も自分が抱えている悩みを話してもいいかなという気持ちになります。

信仰という哲学

どうして学会の世界では、そのような安心感があるのか。私が考えるに、信仰という確かな哲学があるからだと思います。

私たちの信仰では、人間が持つ無限の可能性を仏性(仏の生命)と呼びます。そして、祈りや信仰活動に励むことで、その可能性を最大限に引き出し、悩みや課題を乗り越えることができる、と考えています。

私にとって、祈りや信仰の実践は、自分の生き方や選択を振り返る時間にもなっています。だからこそ、悩みがあったとしても、自分の人生を卑下することなく、受け止めることができます。

先ほどの女性部の集いでも、悩みはさまざまですが、一人一人が、自分の人生に真摯に向き合っているなと感じました。そうした先輩たちの姿を目の当たりにすると、信仰の大切さを痛感します。

もちろん、なかには信心に対して前向きになれない方もいます。それでも、周囲は決して無理強いすることなく、寄り添い、じっと話を聞いています。「この信仰で苦境を乗り越えることができる」という信念があるからだと感じます。

人それぞれいろんな生き方があると言われても、不安が消えることはありません。それは創価学会の信仰をしていても同じです。けれども、それぞれの生き方を尊重して、その人が持つ仏性という可能性を信じてもらえるのは、学会のコミュニティーでしか得られないものだと感じています。

きっとこれからもたくさんの悩みや葛藤が私の人生に出てくるでしょう。そのたびに学会の先輩方にたくさん励ましてもらって、また私の姿が誰かの励みになると信じています。多少回り道をしたとしても、自分だけの人生を、自分のペースで歩んでいきたいと思います。

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#社会 #活動 #仏法哲学

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