中国への印象「良くない」9割――私が思う日中友好を進めるカギ
「中国」と聞いて思い浮かぶものはなんですか
私が小学生だった2008年頃、テレビで盛んに取り沙汰されていたのは、中国産餃子から毒が検出された「毒入り餃子事件」や「爆買い中国人」のニュース。幼い私が持った中国のイメージは決していいものではありませんでした。
そんな私が中国に対するイメージを変えるきっかけとなったのは、関西創価高校でのマカオ出身の友人との出会いでした。日本人の両親のもと、中国の特別行政区であるマカオで生まれ育った彼女は、高校入学とともに単身日本に渡り、言語と文化の違いに悩みながらも毎日必死に勉強や部活に取り組んでいました。
頑張る理由
同じ筝曲部に所属し、海外大学への進学を志していた私たちはすぐに意気投合し、部活へ向かう道すがら、それぞれの家族や夢のこと、様々な話をするようになりました。
ある日、海外大進学者向けの長時間の講義に疲れ、部活への足が重い私たちは、半べそをかきながら部室へ続く坂を上っていました。“もう全部投げ出してしまいたい!”とわめく私の横でじっと涙をこらえる彼女を見たとき、「なんでそんなに頑張れるの?」と素朴な疑問が私の口をついて出ました。
彼女は一言、「池田先生が目指す日中友好に貢献したいから」と。
自分と同じ15歳の彼女が、自分のためでなく、「国と国」との友好のために頑張ろうとしている――。その力強い横顔に私は激しく胸を打たれました。
尊敬する彼女の夢を応援したい、そのためにまずは中国について学んでみたい。
この日をきっかけに中国語の勉強を始めた私は、彼女の背中を追って中国語同好会にも入部。彼女と別々の大学に進学した後も、短期留学や学生団体での活動を通し、「リアルな中国」に触れるようになりました。オーストラリア留学中にできた中国人の友人は、私をハルビンの実家に招待してくれ、彼女の両親は日本人である私を手厚くもてなしてくれました。中国を訪れ、そこで中国の人々と知り合うなかで、それまでのイメージは大きく変わり、私は中国に対して親しみを感じるようになりました。
全てを理解できなくても
その一方、日中友好が決して易しい道のりではない現実も知りました。
例えば、領土問題に見られる歴史認識の差やマナーの違いなど。理解することも、そもそも同じ目線に立つことすら難しいと感じてしまうことも多々あります。けれどそれはお互い様で、中国の人も同じように、日本を「理解できない」と感じている部分があるかもしれません。
昨年12月に「言論NPO」(特定非営利活動法人)などが発表した世論調査では、中国に対する印象が良くないと回答した日本人は89.0%。同様に、日本に対し良くない印象を持っていると答えた中国人は87.7%に上り、20年の調査の中で過去2番目の高さを記録しました。両国の間にそびえる壁はいまだ高いと言えます。
中国を知ろうとしている私でも、理解できないことはまだまだある。それでも私が中国を好きなのは、中国と聞いて思い浮かぶものが、ニュースやネットの情報から、自分自身が中国で見た美しい夕焼けや、おいしいご飯をご馳走してくれた友人の顔に変わったからだと思います。
木も見て、森も見る
「木を見て森を見ず」(小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえ)という言葉があります。複雑な国際政治においても、「国と国」という大きな視点に立ち、物事を見ることは重要です。しかし「森」ばかり見ていても、見落としてしまうものがあるかもしれません。私は留学や交流を通じて、中国の多くの「木」に触れる機会を得ました。その一つひとつの出会いは、それまで遠く感じていた「森」をぐっと身近にし、親しみを抱かせるものでした。
だからこそ、私は思うのです。「森」ばかりを見て先入観を持つのではなく、まず自分の手で「木」に触れ、その肌触りを感じることが大切だと。互いを完全に理解することが難しかったとしても、「木々」を知ることで、やがてその先に広がる「森」が異なる景色として見えてくることもあるのではないでしょうか。
大学を卒業して約4年。私はそれぞれ別の団体の招聘を受け、昨年2度中国を訪れました。コロナ禍を経て7年ぶりにようやく来ることができた中国で、以前と変わらぬ溢れる活気に触れ、私はまるで故郷に帰ったかのような懐かしささえ覚えていました。
中国では、日本語を学ぶ現地の学生と交流する機会に恵まれました。初めて日本人に会ったというある学生は、私に会うのを心から楽しみにし、話す内容をノートに書いて練習してきたのだと嬉しそうに教えてくれました。バスが見えなくなるまで手を振ってくれた彼女とは、帰国後も互いの夕食を写真で送りあうなど、まるで姉妹のように仲良くなりました。
昼夜を問わず、街のあちこちで音楽を流し踊るおばさま方。私たちが日本人だと分かると嬉しそうに日本語を披露してくれる通りすがりのおじさま達。物理的にも心理的にも距離が近い中国の人々を見ながら、私はやっぱり中国が好きだなと思いました。
1974年12月、創価学会第三代会長だった池田大作先生は、中国へ渡り、時の総理・周恩来氏と出会いを結びました。周総理は「池田会長は、中日両国人民の友好関係の発展はどうしても必要であるということを何度も提唱されている。そのことが、私にはとてもうれしいのです」と。その歴史的な会見から半世紀。会見で総理から託された、世々代々の友好の願いを、池田先生は行動で果たされました。創価大学、民音、東京富士美術館などを舞台に、青年交流、教育・文化交流に力を尽くしてきたのです。現在も、創価学会は、日中の青年を対象にした交流会や識者を招いての講演会などを開催し、草の根の友好活動を続けています。
本当の友好
「『友好』『友好』と言っても、『あの人は今ごろ家族だんらんでご飯を食べているかな』とか、中国にいる相手の日常生活を思う中に、本当の友好があるんだよ」
(2014年9月22日付 聖教新聞「創大讃歌 創立者と築く学城」より抜粋)
この池田先生の言葉の通り、日中友好はどこか遠くではなく、学校で友だちを作るのと同じように、仲良くなってみたい、知ってみたい、と思う気持ちから始まるのではないでしょうか。例えば、美味しい中華を食べに行く、中国のドラマを見てみる。そんな些細なきっかけから中国への興味が湧くことがあるかもしれません。
高校時代、私に日中友好の夢を教えてくれた、あの友人は今、中国で通訳として働いています。あの日、彼女の言葉が私の中国へのイメージを変えたように、いつか私の言葉が誰かの心を打ち、少しでも隣の国と、そこに暮らす人たちのことを知りたいと思ってもらえるように。そのために、語学の習得や、人との交流など、できることはまだまだあると私は信じています。未来はこれから作っていくのだから。