“言葉の力”について 〜「趣味:短歌創作」の私が感じてきたこと〜
三十一文字が動かす心
「実を結ぶ向きは違えど
ひと房の葡萄のごとくに僕らは繋がる」
これは、私が高校三年生の時に、新聞に投稿し、掲載された短歌です。
文化祭に向けて、クラスで準備を進める中、「同じクラスであるからといって、みんながみんな同じ方向を向いているわけではない(一生懸命な子もいれば、だるいと思っている子もいて当たり前)けど、“同じクラスである”ということで私たちは繋がっているのだな」ということを感じて詠んだ短歌でした。
新聞に掲載されたということもあり、担任の先生がクラスの皆に紹介してくれました。すると「それぞれの進路など実を結ぶ方向は違うけれど、僕らは繋がっているんだ!」とクラスメートが感動してくれ、卒業に向けてのクラスのスローガンのようなものになりました。
それから8年。もともとは母が新聞歌壇に投稿している姿を見て「私も応募してみようかな」との軽い気持ちで始めた短歌でしたが、日常を過ごす中で発見したことを57577の型に入れ込んでいくだけで一つの作品になる短歌の手軽さにハマり、現在でも日々の中で感じたことを短歌に詠んではinstagramの短歌アカウントに発信しています。
“みんなちがって、みんないい”
言葉には、人々の心に気づきや励ましを与えることで、自分の今いる場所から少しずつではあったとしても社会を変えていく力が秘められている、と私は思います。
例えば、金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」という詩があります。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
私がこの作品に出合ったのは小学校の国語の授業の時でした。当時、読んで新鮮に感じたことを覚えています。
その頃の私は、「みんなと違うことがしたい、個性的でありたい」と潜在的に思い行動していたように思います。しかし、周りの人は「みんなと同じであること」に安心感を覚えているように見えました。
この詩の「みんなちがって、みんないい」という言葉に出合い、私は「みんながみんな同じである必要はない」、そして、「“どれが一番優れているか”ではなく、“みんないい”」という今まで自分で言語化できていなかった価値観を言葉にしてもらった気持ちになりました。
5年前、私は交換留学先(ロシア)の大学で「国際交流フェスティバル」というイベントに参加しました。各国から来た留学生たちが国ごとにチームを作ってその国をアピールするパフォーマンスをしたり、展示をしたりするイベントで、私も日本チームとして浴衣を着て、歌と踊りを披露しました。当日は他の国のメンバーも民族衣装を着て文化紹介をしていましたが、どこのものが優れていると争うのではなく、お互いに「素敵ですね」と褒め合っていて、まさしく「みんなちがって、みんないい」を実感。宗教や文化、国が違う人たちと心を通わせ、友情を結ぶことができたと感じています。
人の心を動かす「言葉の力」――。言葉によって人は元気になったり、励まされたりすることがたくさんあります。
一方、使い方によっては、人を傷つけたり、おとしめたりする面もあります。近年問題になっているように、SNSを中心に、誰かを非難する投稿や、誹謗中傷等の「言葉の暴力」が横行しています。その結果、相手の心に深刻なダメージを与え、最悪の場合、人の命を奪うこともあります。
どうすれば、「言葉の力」を、より良い方向に使っていくことができるでしょうか。
“希望の哲学”を胸に
私が心に刻んでいる思想に「十界互具」があります。これは、「どんな人にでも十界・仏性(仏の生命)がある」との考え方です。
仏法が説く「十界論」では、人は誰しも、「生きていること自体が苦しい状態」から、「欲求不満な状態」、「嫉妬にまみれた状態」、「穏やかな状態」、「驕り高ぶった状態」、「人のために行動する状態」、「生きていることへの歓喜に溢れた状態」……等、その時その時の環境や自身の心境によって、生命が様々な状態になり得ることが述べられています。
その中で、「生きていることへの歓喜に溢れた状態」と言い換えたものが「仏界」に当たります。その「仏界」を引き出すために、私たち創価学会員は日々「南無妙法蓮華経」という「題目」を唱えています。
私は基本的に前向きで朗らかな性格です。しかし、時々、「なんで私ではなく、あの人が」と嫉妬したり、「どうしてそんなことを言われなければならないの?」と内心逆ギレしてしまったりして、相手に対し冷たい言動を取ってしまうこともあります。そんな時、題目を唱えると、自分自身の反省すべき点に気づき、「改善していこう」と思うことができます。さらに、相手の努力や良いところに気づいたり、その人が今どんなことで悩んでいるだろうかというようなところにまで思いを馳せたりすることができるようになり、相手に対して発する言葉も変わることを感じます。
このように、誰もがグラデーションを行き来するように様々な状態になりますが、「どんな人にでも仏性がある」と信じることで、人は人にやさしくなれるのではないでしょうか。そして、この“希望の哲学“が広がっていけば、互いに尊重し合える社会に変わっていけると思います。
「日頃は気づかないところにある美しさにスポットを当てる」――これからも、「言葉の力」を信じて、短歌を読んだ人が忙しい日々の中で見落としがちな美しさに気付けるよう、一つ一つの言葉を紡いでいきます。
「グラデーション行き来し生きる僕たちは
一人ひとりに宝を見出す」
参考文献
金子みすゞ, 矢崎節夫, 高畠純(1992).『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』.フレーベル館