あなたが人生で最も多く聞く「音」とは?――笑顔ならぬ笑声(えごえ)の力

実は先日、「電話応対コンクール」に出場しました

あなたが人生で最も多く聞く「音」は、なんだと思いますか?
「それは、あなたの『声』です」――音楽・音声ジャーナリストの山﨑広子さんは、『声のサイエンス』(NHK出版新書)という本の中で、そう書いています。
さらに、同書では「私たちの心は、時として語られた言葉よりも、声によって動かされている」と。

スマホが当たり前にあって、SNSのDMなど、テキストメッセージでやりとりすることも多い時代です。
最近は、読み上げソフトやAIで作られた、機械的な音声を聞く機会も増えました。
そんな今だからこそ、改めて「声」の大切さを考えてみたいと思います。

私が「たしかに、声って大事」と改めて実感したのは、先日のこと。
仕事の関係で、「電話応対コンクール」(日本電信電話ユーザ協会主催)に出場しました。このコンクールは、架空の企業や商品の設定のもと、電話応対サービスのスキルを競う大会として、毎年開催されています。
各企業からの出場者の前で、実際に電話応対をするので、とっても緊張しました。
一方で、他の方の電話の応対を聞いていると、話し方や声によって、印象が大きく変わることにびっくりしました。

「笑顔」ならぬ「笑声」(えごえ)によって印象が変わります

かつて池田先生が、電話応対で心がける三つのポイントを随筆で紹介されたことがあります。

一、温かな、微笑みを含んだ声で話す。
一、相手の話に耳を傾ける。
一、相手の心を変えていく「ワンモア・ワード」(もう一言の真心こもる言葉)を添える――。

電話では、話している相手の顔や表情が見えない分、声や話し方が大切になります。私も電話応対について、職場の先輩から「心が大切」「スキルは後から」と教わりました。

そこで大切なのが、笑顔ならぬ「笑声」(えごえ)。
それは、耳で聞くだけで温かみが伝わるような声のことです。
温かな心は、声を通して、きっと相手に伝わるはず――。先日のコンクールでも、そのことを意識して、精いっぱいの真心を込めて、競技に参加しました。

背中を押したり、そっと寄り添ったり――いろんな声があります

コンクールの帰り道、ふと考えたことがあります。
それは、毎日の生活の中には、いろんな「声」があるということ。

大学時代、私はキックボクシング部のマネジャーをしていました。
試合会場では、セコンドにも負けないくらいの勢いで、「負けるなー!」と声を出して、選手を応援しました。
頑張っている人を目の前にすると、自然に「背中を押す」ような声が出てきます。

それとは別の声もあります。
例えば、つらい時に隣にいてくれる友達のように、そっと「寄り添う」ような声。
大学時代を思い出すと、いつも電話をくれて、私のことを気にかけてくれる、創価学会の女子部(当時)の先輩がいました。
先輩には悩んでいるなんて言っていないのに、電話口の私の声を聞いてそれに気付いて、会いに来てくれたこともあります。

振り返ると、そういう時に、先輩がどんなことを言ってくれたのか、具体的な話の内容は覚えていないこともあります。(先輩、ごめんなさい!)
けれど、いつも「ねえねえ、何かあった?」「今度、会って話そうよ」――そう言ってくれる先輩の声を聞くだけで、ふっと安心できるんです。

池田先生は、「音声(おんじょう)は、生命それ自体である。魂を込めた、その声は、人びとの心の水面(みなも)に、いつまでも美しく波紋となって広がっていくものだ」と、つづられました。
心を込めて発した声には、聞く人の心を動かす力があるのだと、強く実感します。

忘れられない、もう一つの声——お父さんの祈り

もう一つ、私にとって忘れられないのは、病気で亡くした父の声です。
それは、お父さんが「題目」を唱える声。
(創価学会では「南無妙法蓮華経」という題目を唱える祈りを実践します。題目を唱えることを「唱題」といいます)

私が小学生の頃、風邪をひいて寝込んでいる時には決まって、仏間から父の唱題の声が聞こえてきました。
中学校に進んで学校生活に悩んでいた時には、隣で一緒に祈ってくれた父の声に励まされました。
そんなお父さんの祈りからは、家族のこと、学会の仲間のことを大切に思っているのが、じわじわと伝わってくる気がしました。

父が亡くなった直後は悲しくて、つらくて、涙が止まりませんでした。それでも時間をかけて、お父さんが私たち家族に残してくれた、この信心を大切にしていこうと思うようになりました。祈りを重ねる中で、毎日の仕事や学会活動に、前向きに挑戦していこうという気持ちが強くなっていったのを覚えています。

心の思いを響かせて声に表す

創価学会は、鎌倉時代の日蓮大聖人の仏法を信奉しています。
日蓮大聖人のお手紙等を集めた「御書」には、声について書かれた一節があります。

「言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものをいうのである」
(御書新版713㌻・御書全集563㌻、通解)

他にも「言葉や声の力は仏の働き」(御書新版985㌻・御書全集708㌻、趣意)ともつづられていて、声の力によって仏の働きがなされることが教えられています。

創価学会の私たちは、毎日の祈りで心を磨く、信心を実践しています。
そして、日頃の学会での活動を通して、いろいろな人の声を聞き、心に寄り添い、思いのこもった言葉を送っています。
私にとっては、この信心が全ての根本にあって、それが心を尽くして日々を生きる力になっています。

池田先生は、「声は力である。声の響きこそが、人に勇気を送る。いざというときの『信頼の一言』『励ましの一言』『確信の一言』が、どれほど皆に力と勢いを与えることか」とつづられ、声の力を大切にされました。

私たちの毎日の生活の中に、たくさんの「声」があります。
それは家族や友達との会話だったり、仕事の電話だったり、地域の人とのあいさつだったり。
そんな「声」は、私たちにとって一番身近なコミュニケーションのツールであり、周りの人とつながったり、自分と社会をつないだりするものでもあります。

悩んでいる人に、そっと寄り添うような声を――。
挑戦する人に、背中を押して励ませるような声を――。
心のこもった声は、きっと誰かの生きる力につながっていくと信じます。

それと同時に、自分が発した声を、一番近くで聞くのは、自分の耳です。
心を込めた声を出すことは、自分自身にとっても、大切な音となって響いていくはずです。

この記事のtag

#師弟 #体験談