どろんこノート⑤~広宣流布大誓堂を前にして
2024年○月×日のこと。
東京・信濃町の学会総本部に立つ「広宣流布大誓堂」を見上げると、心が引き締まる。心配していた雨も降らず、嬉しくなった。この日は総本部で創価班(学会の行事運営に携わるグループ)の任務。私は仲間たちと集い合った。
この数日前、会合で一人の班員が口を開いた。友人と話した際、「去年、池田先生が亡くなって、落胆していないの?」と聞かれたという。彼はこう返したそうだ。
「むしろ、“先生、任せてください!”って感じ」
その出来事を振り返る彼の誇らしげな表情。声のトーン。込められた思い。すべてに胸が打たれた。
師匠と、場所や時を同じくするから、頑張れる。そうじゃない。離れていようが、たとえ今世で時間を共有していなくとも、師を胸に進む。改めて“弟子の自立”に触れた思いで、若い班員の姿に感動した。
師匠とともに描く“心の絵画”
総本部の「広宣流布大誓堂」。“聖”ではなく、“誓”の一字に込められた思いを、よく考える。能動的に自ら誓い、行動する。受け身になりがちな姿勢を律しないと。そう思えてならない。
役員の任務前には何度も、誘導や役割の確認を重ねる。何事もない「無事故」は、勝手に手に入るものではない。こちらが「勝ち取る」。ここにも能動的な姿勢が現れている。
日蓮大聖人の御書の一節に、「鎌倉より事故なく御下りの由承り候いて、うれしさ申すばかりなし」(新1946・全1472)とある。
仕事を終え、所領に戻った西山殿は、即座に大聖人に無事帰国の報告を入れた。それに対し、大聖人も手紙を受け取るや、直ちに反応を返されたのである。
池田先生は、この一節を通し、こう語られた。
「まことに“打てば響く”心の交流であり、うるわしき心と心の通いあいといえよう」「大聖人も心から安心され、喜ばれた――師と門下の美しき“心の絵画”を見る思いがする」
さらに、折あるごとに、先生は会員の安全、無事故に対して、絶えず心を砕いてこられた思いを語ってきた。“列車やバス、船での輸送を浮かべ、深夜に床に就いてからも移動状況を思って、安全を祈ったこともしばしばだった”と。
無事に一日の任務を終えた後、班員の一人一人の顔は晴れやかだった。それぞれが感想を語りながら、「先生」のことを口にしていた。
私は、「無事故」とは、先生を思い、先生と共につかむものだと感じる。
師と弟子の“心の絵画”。同じ時を生きていた頃よりも、もっと深く、直結して、一対一の絆をつむぎながら、描いていけるものだと思う。
この日をどう迎えるのか
かつて、聖教新聞のコラムに、師弟の話が載っていた。
美術評論家の柳宗悦は「一番価値があることの一つは、未来のある作者を捜し出すこと」と。この心に応えたのが弟子の染色工芸家・芹沢銈介だった。柳の著作に感銘し、師事を始めた芹沢は、師との出会いから30年目、ついに人間国宝となる。
そして、そのコラムには、こうつづられていた。今も印象的に残っている。
(芹沢は)「師の導きによって心一杯、仕事を展(ひろ)げることが出来た」と師への感謝を語った。そして、師の写真を自宅の応接間に飾り、いつも眺めたという(『染色の挑戦 芹沢銈介』平凡社)。柳宗悦の祥月命日は5月3日。この日、心でどんな会話を交わしたことだろう。(聖教新聞2016年5月3日付「名字の言」から)
恩に報いたい人がいる。つながり続ける人がいる。そんな人生は強く、幸福で、美しい。
あと約一ヵ月で師匠・池田先生の初めての祥月命日(11月15日)が巡り来る。どう迎えるのか。どんな自分でありたいのか。そして、この日、どんな会話を胸中の師と交わすのか。真っすぐに向き合って、一日を重ねたい。