忘れられない夫婦げんか――学会員の妻が本気で怒った!
私と夫は、現在結婚6年目、同い年で、共に創価学会員です。
共働きで、育児に創価学会の活動に奮闘中の今は「One team!」を合言葉に、夫婦という名のチーム一丸となって、日々を一生懸命に生きています。
そんな私達も新婚の頃は、よくけんかをしたものでした。
新婚夫婦のけんかの理由
けんかの理由はたいてい、夫の飲み会のことでした。
「(学会の)男子部の先輩が結婚祝いをしてくれる」
「会社の人が結婚祝いをしてくれる」
「前の会社の人が結婚祝いをしてくれる」
「地元の友達が結婚祝いをしてくれる」
……
とにかく友達が多くてノリの良い夫は、酒席のお誘いが途切れることがありません。
私は結婚するまで実家暮らしだったこともあり、一人で家にいることになかなか慣れませんでした。
また、「先に寝てて」と言われても、夫が帰るまで心配で眠れず、夜中の2時、3時まで悶々としながら待っていました。
(新婚なのに、家にいなさすぎ)
(仕事も忙しいし、学会活動も忙しいし)
(そのうえ飲み会も多いなんて。寂しいなぁ)
夫がようやく丑三つ時に帰宅すると、私はさっきまでうじうじと考えていた恨み節を呟き始めます。心の中で膨張したモヤモヤを、吐き出さずにはいられません。しかし当の夫はべろんべろんに酔っ払っていて、空返事だけしてほぼ寝ている状態です。
それでも、私はとりあえず言いたいことを言ったらスッキリして眠ることができました。
しかし、これで解決というわけにはいきませんでした。夫が飲み会に行く→帰宅後私が不満を言う→夫が分かったと一応言う→振り出しに戻る。この一連を何度繰り返したでしょう。何も変わらないことに、私は悩んでいきました。
「よし、祈ろう」
創価学会員は、悩みに直面したとき、唱題を実践します。
唱題とは、御本尊に向かって「南無妙法蓮華経」と繰り返し唱える修行実践です。
普段は、朝と晩に勤行(読経)・唱題を行います。だいたい5分もあれば終わりますが、悩みや目標があって自分と向き合いたい時は、30分、1時間と長く唱題することがあります。
唱題とは
「南無妙法蓮華経」の唱題行を確立した日蓮大聖人は、唱題とは、曇った鏡を磨くように、迷いに覆われた生命を綺麗にして本来の輝きを顕わにする作業だと述べられています。
只今も、一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈[おこた]らず磨くべし
(新317・全384)
現代語訳
今の(私たち凡夫の)無明という根本の迷いに覆われた命は、磨かない鏡のようなものである。これを磨くなら、必ず真実の覚りの智慧の明鏡となるのである。深く信心を奮い起こして、日夜、朝夕に、また怠ることなく自身の命を磨くべきである。
また、雛鳥が母鳥によって温められて卵からふ化するように、唱題によって、私たちの中にある仏性(=智慧や慈悲や、無限の可能性と言い換えられる)が引き出されて迷いの殻を打ち破り、自由自在にその力を発揮できるとも述べられています。
我らも無明の卵にしてあさましき身なれども、南無妙法蓮華経の唱えの母にあたためられまいらせて(中略)実相真如の虚空にかけるべし
(新2068・全1443)
現代語訳
私たちも無明(=迷い)の卵で、(悩みや苦しみに覆われた)あさましい身だけれども、南無妙法蓮華経の唱えの母に温められて(中略)真実の覚りの境涯という大空に羽ばたくことができるのである。
私自身、日々唱題を実践していて、次から次へと汲めども尽きないアイディアが湧いてきたり、命の奥底から元気が漲ってくるような実感を体験しています。
「悲しい」「くやしい」の思いの先に・・・・・・
私は、結婚して初めて直面した「夫の飲み会がいやだ」という悩みと向き合うため、10時間唱題に挑戦することにしました。10時間と言っても、連続して行うのではなく、途中で休憩を挟みつつ一日の間でトータルして10時間唱題するイメージです。
とは言え10時間もの長時間唱題するなんて、そうめったにやることではありません。しかし私にとっては、それほどの、よほどの一大事だったのです。
夫が終日不在だったある日、私はしんしんと題目を唱えていきました。
初めは、「分かってくれなくて悲しい」「悔しい」「私のこと愛してないんだ」という、全く根拠の無い、しかし私らしい本音の感情が溢れてきました。
更に唱題していると、今度は冷静な疑問が浮かんできました。
「私はどうして夫が飲みに行くのがいやなんだろう」
唱題しながら、思索を重ねていきました。
まず、自分が一人でいて寂しいというのは、私自身の自立のチャンスで、成長する余地かもしれないと気づきました。
次に、飲み会それ自体は、友人や先輩、同僚との大切なコミュニケーションの場で、否定するものではないと納得しました。私も、家族や友人と飲みに行くのは大好きです。
そのうえで、帰りが遅いことについては、それだけ飲んでいる時間が長く、つまり酒量も多くなるということであり、ひいては忘れ物などの危険性が高まるので、改善を促す正当性があると考えました。
それから最後に、私たちは子どもを授かることを切望していて、不妊治療も検討していました。不妊治療には、お金も時間もかかります。夫婦の、家族の将来について語り合い、支え合う時間が必要だと思いました。また、もしすぐに子どもを授かれたなら、夫婦二人だけの時間はごく限られたものなので、今以上に大切にしたいとも感じました。
10時間の唱題を終え、私は今度こそ本当にスッキリしました。
あれほど悶々としていたのが嘘のように、自分の成長や、夫婦で力を合わせて切り開いていく未来を想像して、ワクワクするほどでした。
「オラ、ワクワクすっぞ!」(『ドラゴンボール』の名台詞)
翌日、私は夫と話し合いました。
夫はすべてに納得してくれ、「終電で帰ること」「マイナス1杯」(=今までなら10杯飲んでしまうところを9杯で済ませること。夫のさじ加減ですが、彼を信じて)を約束してくれました。
話の後、私は、前日に10時間唱題したことを打ち明けました。
夫は驚いて、「それはズルいよ~」と半笑いで天を見上げました。私の10時間重ねた思索の前では手も足も出ず、すべてに了解するしかなかったようです。
「スーパーサイヤ人に手ぶらで挑んだようなものだ」(笑)
「どうりで何かまとってたんだよな〜」(覇気のようなものでしょうか?)
ふたりで笑い合って、この夫婦げんかの幕は閉じられました。
この時に決めた「終電で帰る」「マイナス1杯」の約束は、今日までの5年間破られていません。当然、大なり小なり課題や目標は常にありますが、祈りの実践を通して、夫婦で責め合うのではなく、切磋琢磨して乗り越えることを心がけています。
以上、今も時々ふたりで思い出しては笑える、私にとっても夫にとっても忘れられない夫婦げんかのお話でした。