「障がいは“障害”じゃない」 パリパラリンピックに感動

「障がいは“障害”じゃない」 パリパラリンピックに感動

9月8日に閉幕した「パリパラリンピック」。
皆さんはご覧になりましたか? 「オリンピックに比べると、LIVEで見ることは少なかった」という人もいるかもしれません。

今回のパリパラ、日本勢は金メダル14個、銀メダル10個、銅メダル17個の計41個を獲得。金メダル数は過去3番目、メダル総数は過去4番目に多い大会となりました。中でも、車いすテニス(シングルス)は男女共に金メダルと活躍が光りました。

同種目の男子において、史上最年少で栄冠を手にした小田凱人選手のプレーも圧巻でしたが、上地結衣選手はダブルスと合わせ、見事に単複2冠を達成。日本女子史上初の快挙を成し遂げました。

パラリンピックにおける女子の車いすテニスは、実施競技に採用された1992年大会から前回大会まで、シングルスもダブルスも全てオランダ勢が「金メダル」を獲得。「オランダ一強時代」が長く続いていました。
上地選手が決勝で相まみえた、オランダのディーデ・デフロート選手は本年、世界で活躍したスポーツの個人・団体に贈られる「ローレウス世界スポーツ賞」を受賞。その戦歴はまさに「絶対女王」の名にふさわしく、6年以上、世界ランク1位の座を守り続け、2021年から3年連続でグランドスラム(国際テニス連盟が定めた4大大会を指す総称、またはその全てで優勝すること)を達成。昨年にはシングルス53試合全勝という驚異的な記録も残しています。

本年7月の大会までの約3年半、上地選手はデフロート選手に29連敗。「難攻不落の壁」ともいえる最強のライバルでした。

白熱の決勝戦――。固唾をのんで見守った、手に汗握る試合。超一流の技と心がぶつかり合う、素晴らしいゲームでした。終了後、観客の拍手はしばし、鳴り止みませんでした。勝利の瞬間、感極まり、動けなくなっていた上地選手のもとへ、デフロート選手は真っ先に向かい、祝福の言葉をかけていました。
勝敗を超えた「尊敬」と「友情」の姿に、スポーツの素晴らしさを改めて実感した瞬間でした。

自身を輝かせる「個性」

私が「パラリンピック」の魅力を知ったのは、2021年の「東京パラ」です。
特に、心を動かされたのは、一人の競泳選手の姿でした。
そのスイマーは、両腕がないなか、鍛え抜いた足を懸命に動かし、必死に息継ぎをしながら、前へ前へと進んでいました。その迫力とダイナミックな泳ぎに感動し、涙が止まりませんでした。

今回のパラリンピックに出場した競技者のなかには、進行性の病と戦う人もいると聞きました。障がいや病は、その多くが「理不尽な苦難」であると言えると思います。ある日、突然襲いかかってきた試練に対して、どうしてここまで、強く、明るく、立ち向かうことができるのだろう。強靱な心を支えているものは何だろう――そう考えるようになりました。

そんな時、テレビのインタビューに答える、あるモデルの方の話に胸を打たれました。小学生の頃に難病を患い、義足になったその女性は、周囲の目を恐れ、「(義足を)隠したくてしかたなかった」と語っていました。彼女の心を一変させたのは、2016年にリオデジャネイロで開催されたパラリンピックでした。
閉会式の映像で、義足を隠すことなく、堂々とランウェイを歩くモデルの姿に、「かっこいいな」「私も、こんな風になりたい」と憧れを抱いたと言います。

義足でのモデル活動には、言い知れぬ苦悩がたくさんあったと思います。
でも、彼女は「憧れ」を「夢」に変え、挑戦を重ねました。
そして、ついに、東京パラの開幕式の出演を勝ち取るのです。
彼女は笑顔で語っていました。「義足は武器」「自分にしかない個性」と。

「障がいがあっても負けない」。それは「障がい」を、自身の人生の「障害」にはしないという、不撓不屈の精神力です。
理不尽な苦難を前に、「なんで僕が」「どうせ私は」と後ろ向きになるのではなく、「それでも僕は」「だからこそ私は」と、夢を抱いて挑み続ける――そこにこそ、あらゆる障害や試練を、自分を飛躍させる「武器」に、自身を輝かせる「個性」にと、転じゆく方途があると教わりました。

苦しんだ自分だからこそ

次元は異なりますが、私の周りにも、そうした「不撓不屈の精神力」を燃やし、行く手を阻む「障害」を乗り越えながら、使命の舞台で輝きを放つ友達がいます。

Aさんは、小学校から中学校までいじめを受けていました。
当時、学校に行くことが苦しく、人に助けを求めることもできず、孤独感や悲しみが胸を覆っていたと言います。社会人になってからも常に職場の人間関係で悩み、出勤することに苦痛を感じる日も多くありました。そんな中、学会の先輩から激励を受け、「こんな自分を変えたい!」と決意。彼は朝晩の勤行と唱題を始めました。毎日祈る中で、これからの自分の人生を真剣に考えるようになった彼は「一つの夢」を見いだします――それは「小学校の先生」になることでした。

辛い思いをした「学校」です。本来であれば、卒業した後、近寄りたくもないはずです。それでも彼は、「苦しんだ自分だからこそ、弱い立場の人に寄り添えるのではないか」と、「苦悩の地」を「使命の舞台」に変える決意を固めたのです。元々勉強が苦手で大学にも行けなかった彼は、教員免許を取得するために創価大学の通信教育部に入学。仕事・勉強・学会活動のすべてを全力でやりきり、見事に教員採用試験への合格を勝ち取りました。現在は、小学校の教員として、子どもたちに寄り添い、励ましを送っています。

苦闘を通して無限の可能性を開く

苦難を前に、誰もが強く立ち向かえるわけではありません。宿命に挑む「勇気」、宿命を使命に変える「希望」。その強さを、自身の心の中に湧き出だすことが、私たちの信仰の目的の一つです。
創価学会の信仰には、いかなる悩みや試練にも屈することなく、一人一人の仏性(無限の可能性)を開花させる力があります。

池田先生はつづっています。

「過酷な試練に直面して、『結局、人間は何もできない』と、諦観を説き、人々を無気力にしていく思想もありました。そうではなく、いかなる理不尽な苦難があろうと、『それにもかかわらず、人間はさらに強くなれる』『いな、だからこそ、苦闘を通して無限の可能性を開くのだ』と励ます。これが日蓮大聖人の仏法です」(『誰もが輝く「人間主義の世紀」へ!』)

諦めなければ「希望の道」を歩むことができる――そう信じて、きょうも、自分らしい「一歩」を踏み出したいと思います。

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