“AI×宗教” ▶ AI時代と宗教の価値〈下〉

2022年から注目度が一気に高まった“生成AI”。“AI×宗教” ▶ AI時代と宗教の価値〈上〉に続き、AI時代における宗教の価値について考えたい。

AIに対応した時代の変化

SNS等で「AI時代」と検索するとあらゆるコンテンツが出てくる。よく目にとまるのは「AI時代に消える仕事」や、「AI時代に必要なスキル」、「シンギュラリティに備えよ」などだ。

米国IBMのシンクタンクIBM Institute for Business Value(IBV)は「今後3年間で全世界の労働者の約40%、約14億人にリスキリングが必要になる」との推計を出し、「AIを使う人は使わない人に取って代わるだろう」と述べている。(※1)

日本では2023年7月に学校現場での生成AI活用に関する「暫定的なガイドライン」が発表されたが、小学校から大学まであらゆる学びの場で生成AIの活用が始まっている。

AIの登場によって、今後わたしたちの働き方や求められる能力、学生時代に学ぶ内容までも大きく変化をしていくに違いない。

シンギュラリティ・SF映画で見たあの世界

「シンギュラリティ」とは、人工知能の性能が人類の知能を超える“技術的特異点”を指す言葉だ。

シンギュラリティ以降、人類の知能を超えたAIは独自で進化を続け、人間では不可能だった課題解決や新たな技術を生み出すなど、その社会的影響はもはや人類では予測がつかないとされる。

シンギュラリティでよく言われるのは「労働からの解放」だ。人間が生きていくために必要な食料も、インフラも、エネルギーも、あらゆる産業がAIロボットに代替される。AIロボットは24時間365日働き、あらゆるものが低コストで生産され、デフレが起き、資本主義経済が崩壊する。結果、人間は働かなくても生きていくことが可能になるというのだ。

またよく言われるのは「長寿命化」だ。AIが進化し、人体の解明がより進めば、病気の早期発見と予防、難病の解決、人工臓器の開発、サイボーグ化など、寿命がより長期化すると言われる。

シンギュラリティの到来時期には諸説あるが、アメリカの人工知能研究の権威であるレイ・カーツワイル氏が提唱した2045年がもっとも知られている説だろう。2030年ごろにはその前段階である「プレ・シンギュラリティ」が始まるとされている。(※2)

「幸せ」とはなにか

AIの進化、特にシンギュラリティ後は、労働がなく、好きなことだけをして、何百年と生き続ける世界かもしれないのだ。シンギュラリティ後の世界がどうなるのか、想像することすら難しいが、AIの進化とともに社会制度や生活環境、人々の価値観も大きく変化することは間違いない。

とても良い世界のように聞こえもするが、果たしてどうだろうか。

先のカーツワイル氏は、AIが人間を能力的に凌駕し人類がAIをコントロールできなくなる可能性や、AIによる大量失業や経済的混乱の発生など、シンギュラリティによって受ける人間への影響や社会問題のことを「2045年問題」と称した。(※2)

マサチューセッツ工科大学 (MIT) の経済学者でノーベル賞受賞者でもあるアビジット・バナジー氏は、AI による労働のない社会が本当により大きな幸福を人間にもたらすのかどうか疑問を投げかけている。これまでのランダム化比較試験の結果、人々は働かない選択よりも働いて給料をもらうことを好むということがわかっており、労働の喪失が収入減だけでなく、薬物依存などの悲惨な結果を招いている現実があるからだ。(※3)

創価学会が目指す「絶対的幸福」

〈上〉でも述べた通り、宗教の本来的な役割は人の「内面を磨く」ということであり、個人の内面における「成長と幸福」である。

創価学会の目指す幸福とは、欲望が満たされるなど、外の条件が整った場合に成立する「相対的幸福」ではなく、外の条件に左右されることのない、生きていること自体が楽しいという「絶対的幸福」境涯の確立である。(※4)

金やモノを手に入れることによって得られる幸福もある。しかし、それは束の間の幸福にすぎない。戸田は、それを「相対的幸福」と呼んだ。そして、たとえ、人生の試練や苦難はあっても、それさえも楽しみとし、生きていること自体が幸福であるという境涯を、「絶対的幸福」としたのである。
この悠々たる大境涯を確立するには、いかなる環境にも負けることのない、強い生命力が必要となる。その生命力は、自身の胸中に内在しているものであり、それを、いかにして引き出すかを説いたのが仏法である。
(『新・人間革命』 第2巻「民衆の旗」の章)

労働がなく、長寿命の世界において、人々の幸福とは何なのか。何を求め、どこに向かうのか。AIが進化すればするほど、社会も人々も、変化していくであろう価値観の中で、多くの人が自問するに違いない。

であるからこそ、外の条件に左右されない、生きていること自体が幸福といえる境涯の確立が、いやまして求められるのではないだろうか。

ゆえに、シンギュラリティ後の世界において、本来、人間の内面を磨く役割を持つ宗教、なかんずく、絶対的幸福の確立を目指す創価学会の存在は、より重要度を増すと、わたしは考える。

自身の可能性を開く祈り、他者の幸福を願い、社会への貢献を目指す仏法者としての生き方、そして、困難や悩みに直面しても互いに励まし合える仲間――。いかなることがあっても、自身の「宿命」を自分にしかない「使命」と捉え直し、どこまでも自分らしく、自分にしか創造できない人生の価値を生み出し、「絶対的幸福」を実現する環境が、日蓮仏法を正しく実践する創価学会にはある。

シンギュラリティ後の世界が、どのような姿になるかはまだ分からない。だが、目の前の一人に寄り添い、価値を創造し、自他共の幸福を生み出していく、その世界各地の創価学会員の地道な歩みは、決して変わることはないだろう。


※1 Ledge.ai 「AI普及で世界の労働者の40%・14億人にリスキリングが必要に IBMのシンクタンク調査」

※2 識学総研 「【わかりやすく】シンギュラリティとは?意味やいつ起こるのかを解説!2025年にはAIに代替されるのか」

※3 Cryptopolitan 「MIT エコノミストが探る AI の仕事のない社会における課題」

※4 SOKAnet 相対的幸福と絶対的幸福

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#宗教 #社会

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