【連載】創価学会あるあるフレーズ――その心は!? 第1回 「祈ってるよ!」って、どういうコト?
男子部のリーダーになって少しした時、ふと気づきました。
創価学会の先輩たちがさまざまな場面で励ましてくれたこと。
その時は分からなかった言葉の意味を。
学会活動をする中でよく聞く“あるあるフレーズ”の数々は、多くの先輩たちが思いを込めて、僕のような後輩を、同志を励ますためにつむがれてきました。
その言葉を改めて見つめ直し、「そこには、こんな思いが込められていたんだ」と、再発見していきたい。
そんな気持ちから、「創価学会あるあるフレーズ――その心は!?」と題して、連載をつづらせてもらいます。
祈りって神頼みとは違うの?
「祈ってるよ!」
今回のテーマであるこの言葉を初めてかけられた時、先輩がどんな気持ちで言っているのか、正直よくわかりませんでした。
「祈る」って、世間一般では、「最後の神頼み」とか「藁にもすがる思いで」とか、もうどうにもならないときにすることってイメージが強いですよね。
だから、「祈ってるよ!」と言われましても……と困惑してしまったんです。
けれど同時に、なんだか少し、うれしいような、心強いような気持ちが湧いてもいました。
今、かつての先輩たちと同じ立場になって思うこと。それは、学会員の「祈ってるよ!」って、ものすごい励ましの言葉だということです。
祈る=励まし?
仕事、人間関係、経済的なこと……。人によってさまざまですが、苦しい時って、その課題の現実的な解決がもちろん急務です。
学会員の先輩にその苦しさを打ち明けると、その解決への現実的な道筋を一緒に考えてくれます。
現実の課題に立ち向かって解決していくのは、もちろん当事者である自分にしかできないことです。
けれど、その解決策を、ある意味〝全く関係のない他人〟である先輩が一緒に考えてくれるだけでもありがたい。(アドバイスがめちゃくちゃ的外れなときもあるけど、それはそれで面白い。笑)
けど、学会の先輩はそれだけじゃない。必ず「祈ってるよ!」と、確信込めて言ってくれます。
そして、会うたびに、「あの件、どんな感じ?」「その後、大丈夫だった?」と心配してくれるんです。LINEで参考になりそうな情報を送ってくれたりすることも。
学会員って、「マジ」で他人のことを祈っているんですね。〝なんとかなればいいな〟的な神頼みとかでは決してないんです。
むしろ、自分と他人どちらの課題も、「俺の祈りで必ず解決してみせる!」みたいな、〝超・能動的〟な行為が、学会員の祈りなんです。
学会員の祈りは、究極の励まし
「祈る」ってそもそも、その物事について、自身の頭の中で考えたり、心に留めたりすることの究極的な行為だと思います。
普通、人の気持ちや思考は、どんどん移り変わっていくものです。なのに、「祈ってるよ!」って言ってくれた先輩方は、課題に立ち向かう自分のことを、強い気持ちを持って見守り、応援してくれていたってことです。それって、ものすごいことだなと思うんです。
そして、その応援に背中を押されて、自分も〝学会式の祈り〟にチャレンジする。
すると、自分の中の弱さとか、諦めの心が嫌と言うほど見えてくる。
それらに正面から立ち向かって、「いや、できる!」「必ず成し遂げる!」って心を燃やすことができる。
だから学会員にとって、先輩の「祈っているよ!」は、究極の励ましの言葉だなあと、つくづく思うんです。
かつては祈られる側。今は祈る側(祈られるときも、もちろんたくさんありますよ!)。
どちらの立場も経験してわかることは、学会員にとって、祈りって欠かせないなってことです。
自分も、この祈りの心=励ましの心を伝えていける、良い先輩になれるよう、自身を磨いていきます!
と、こんな感じで、つれづれなるままに、「創価学会あるあるフレーズ」について考えていきます。
どうぞ、お付き合いください!
(つづく)
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