soka youth mediaにきた質問 ▶「どのような過程で仏を信じているのか」
先日、「それって『良い宗教』?『悪い宗教』?」を読んだ、創価学会員ではないZ世代の方からメッセージをいただいた。
神や仏などの超自然を信じておらず、創価学会員がどのような過程を経て「仏」というものを信じているのか、疑問に思っているとのことだ。
超自然、ぶっちゃけ私も信じておりません。
この方の言う「神や仏などの超自然」とは、いわゆる自然の法理を超越した神秘的なことを指しているのだろう。
ぶっちゃけ私は、神秘的な神や仏、スピリチュアル、占いや風水などの類いを信じていない。
私は理系脳で、論理的にも気持ち的にも、納得しないと気が済まないタイプだ。
なので、オカルト的な話や都市伝説、陰謀論なども、エンタメとして楽しみはするが、信じたことは一度もない。なんでもエビデンスや裏付けを確認してしまう。
これは創価学会の活動においても同様だった。
「なぜ祈りは叶うのか」「なぜ創価学会の御本尊は紙に文字なのか」「なぜ『南無妙法蓮華経』の題目なのか」など、疑問に思うことはすべて先輩にぶつけ、また自分でも納得するまで調べてきた。
先に結論を述べると、創価学会の信じる「仏」とは、リアルを生きている“人間”のことだ。自分も含め、全員が「仏」であると、仏法ではとらえている。
日蓮仏法の眼でみる「仏」とは
仏法の基本的な生命観に「十界」がある。これは人間をはじめ、あらゆるものの生命の状態(境涯)を10種類に分けたものだ。誰もがもれなく具える、一人ひとりに内在するものだと考えてもらっていい。
「十界」それぞれの名をあげると、「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人界」「天界」「声聞界」「縁覚界」「菩薩界」「仏界」という。
たとえば地獄界ならば「生きていること自体が苦しい、何を見ても不幸に感じる」状態をいい、修羅界は「自分と他者を比較し常に他者に勝ろうとする、他者を尊敬できない」状態を指す。
一方、菩薩界は「人々の苦しみと悲しみに同苦し、抜苦与楽(苦を抜き、楽を与えること)の実践をして、自他共の幸福を目指す」状態であり、仏界とは「悩みや環境に左右されず、慈悲や智慧、勇気が溢れ、生きていること自体が楽しい、幸福である」と感じる絶対的な生命の状態をいう。
(動画)【VOD】やさしい仏法用語 仏法の生命観 十界論 | 創価学会公式
この十界は決して固定化されたものではなく、環境や状況によって“アップダウン”する。
誰しも機嫌がよい時もあれば悪い時もある。お腹が減ればそのことで頭がいっぱいになるし、試合や勝負事になれば勝ちに執着する。家族や大事な人のためならば我が身を顧みず頑張ったりもする。簡単に言えばこれが十界の“アップダウン”だ。
ポイントは「すべての人」に地獄界から仏界まで十界が欠けることなく具わっていることだろう。そして、創価学会の信じる「仏」とは、いわゆるこの「仏界」のこととも言える。
この誰しもが本来具えている「仏界」という最高の生命状態を、実生活で引き出すために、創価学会員は日々お題目を唱え、創価学会の活動に挑戦している。
全員が「仏」って信じられる?
以上の通り、創価学会の信じる「仏」とは、いわゆる超自然で神秘的なものではなく、全員が具えている「仏界」という生命状態のことを指すとも言える。
自分の仏界を信じるとは、過去や今がどんな状況や環境であろうと、自分に限界をつくらず、諦めず、必ずそれを打開して「幸せになっていける」と信じているということだ。
同時にそれは、「他者の仏界を信じる」ということにつながる。家族や友人、同僚をはじめ、縁するすべての人の無限の可能性を信じるということだ。
超自然的な神仏を崇めるのではなく、リアルの人間、目の前の一人を最高に尊い存在としているのが、創価学会が実践する日蓮仏法の視点だ。
仏法はとても科学的
日蓮大聖人は、仏法の善し悪しの判断軸として、「道理と証文が大切である。さらに、道理・証文よりも大切なのは現証である」(御書新版1941ページ、御書全集1468ページ)と言われている。
これは現代にも通じる、とても科学的な言葉であると思う。つまり“道理に適っているのか”“エビデンス(証拠)はあるのか”“実際の結果が何よりも大事だ”ということだ。
特定の対象領域において実験で得られた結果から法則を見つけ、それを信じるのが科学である。現代ではその法則を活用してあらゆる面で便利に生活ができるようになったが、まさに生命や生き方、内面などの領域を対象とし、信仰実践を通してどう人間が変化していくかを見ていくのが仏法であろう。
先日、聖教新聞で紹介されていた、ハーバード大学大学院で博士号を取得した生物物理学の研究者の言葉が印象的だった。
「仏法は極めて科学的、理性的であり、かつ現実を変革していける力を持った宗教」
「そもそも、科学も信仰のようなもの。実験で出た結果を重視し、その中で生まれた法則を信じるからです。仏法も法則です。その法則を信じて実践すると、必ず結果が出ます。それは科学者にとってインパクトがあり、十分に納得できるものです」
創価学会初代会長の牧口常三郎先生は、創価学会の活動を「大善生活実験証明」と言われた。第二代会長の戸田城聖先生は、「もったいないことであるが、御本尊は幸福製造機にたとえられる。人類を幸福にするための機械であられる」と言われた。
実際の生活が良くなることが仏法であり、また幸せになるための仏法である。
一人一人の学会員が、自身の信仰活動という実験証明の結果として、幸福になったとの実感があったからこそ、ここまで創価学会は大きく発展し、世界192カ国・地域にまで広がってきたのであろう。そうでないなら、わざわざ宗教を実践する必要はない。
私は仏法と科学は決して矛盾するものではないと思っている。どちらも自身の生活をより良くしてくれるものだからだ。