私が地域防災の活動をやろうと思ったワケ〈下〉
自分の挑戦で変えられるものがあるならやってみようと、新宿区の防災サポーターに挑戦した理由――それは、創価学会の活動を通して、これまでにいろいろな人と出会い、どんなに立場や境遇が違っても心を通わせられるという確信があったから。さらには、創価学会の同志と接する中で、〝私から一歩始める挑戦〟をしているのは、自分だけではないということを知っていたからだと思います。
夢を語る創価学会の先輩たち
私は祖父母の代から創価学会に入っている〝学会3世〟。子どもの頃から特に違和感もなく、親に言われるがままに信仰をしていた私が、自分から真剣にやってみようと思ったのは、親元を離れて一人暮らしを始めた大学1年の時でした。
自分の意思で活動を始めた当初、一番うれしかったことがあります。それは、おそらく学会員じゃなかったら、きっと出会うこともなかったであろう先輩や同級生との出会いでした。通っている大学も、学んでいる専攻も違えば、趣味や部活動も違う同志。今思えば、創価学会が目指す「広宣流布=世界平和」という目的が唯一の共通点だったと思います。出会う同志それぞれが、自分の「夢」や「目標」などを、目をキラキラと輝かせながら話してくれる姿はとても印象的に残っています。
同じ大学の友人とは一度も、「夢」や「希望」みたいな〝アツい〟話はしたこともなかったので、率直に信仰という哲学を土台に自身が進む方向を見据えている先輩が〝カッコいい〟と思いました。当時は信仰の意味はまだ分かりませんでしたが、信仰が人を輝かせるということだけは素直に納得できたのです。
以来、私は少しずつ学会活動に参加する中で、老若男女問わず、同じ地域に住む人々と知り合っていきました。出会う人、出会う人、それぞれに自分にとっての「広宣流布」の目標があり、自身だけではなく、身近にいる〝誰かのため〟に現状を良い方向へ変える挑戦をしていることを知りました。「広宣流布」とは一宗一派を広めようとか、そういう偏ったものではありません。いかに各人が、自他共の幸福に生きる利他の精神を発揮していけるのか。自分と自分が縁する人々の幸福の責任を担っていけるのか。それこそが、「広宣流布」に生きることだと教わったのです。
あれから十数年が経ち、創価学会の中で出会った人は数え切れませんが、今も私が思う創価学会の魅力は、信仰を胸に自らを輝かせながら、「広宣流布」に挑んでいる人が集まっているという点です。
だからこそ私も、自分にとっての「広宣流布」の挑戦として、地域のため、地域の人のために行動する一人になりたいと思ったのです。
「俺も学会員なんだよ」
防災サポーターとして、先日、新宿区の水防訓練に参加しました。風水害が激甚化する昨今、川が氾濫したことを想定してのさまざまな対応を学びました。
防災サポーターとして参加したのは私を含めて男女8人。新参者で青年世代であることから、サポーターの先輩方が喜び、たくさん声をかけてくれました。
ある80代の男性からは、「若いのになぜ、防災に興味をもったんだ?」と聞かれました。私は、【私が地域防災の活動をやろうと思ったワケ〈上〉】で述べた理由とともに、自身が創価学会員であること、地域のためにできることをやろうと思っていることなどを話ました。
すると、その方は「なんだ、俺も創価学会員なんだよ」と一言。そこにいたサポーター8人のうち、4人が学会員であることを教えてもらいました。
地域のため、自分のために「広宣流布」に挑む同志がここにもいたのかと驚くとともに、社会をよりよく変えていこうとする学会員の姿が本当に誇らしいと思えた瞬間でした。
「災害が起きないように、祈っていくのはもちろんだけど、〝いざ〟という時のために、お互い地域のために頑張っていこうな!」――男性からの言葉は、私の防災サポーターの活動の励みになっています。
〝いざ〟という時のために、自分や家族だけでなく、地域の人の命も救えるように。知識も経験もまだまだですが、創価の青年らしく地域活動に挑戦していこうと決意しています。