soka youth mediaにきた質問 ▶「人間はなぜ生きるのか」

先日、「それって『良い宗教』?『悪い宗教』?」を読んだ、創価学会員ではないZ世代の方からメッセージをいただいた。

「人間はなぜ生きるのか」等の疑問に答えが出せず、虚無感に襲われることがあるそうだ。

私もかつてこの問いに悩み、何もやる気が起きず動けなくなった経験がある。

ちょっと私のことを書かせていただくと

記事の中でも少し触れたが、私は創価学会3世だが宗教は嫌いだった。特に明確な理由はなく、あえて言えば何となく宗教を煙たがる日本の風潮の影響と、創価学会の活動に励む親への反発みたいなものだ。

そんな私を変えるできごとが18歳の時に起きた。幼い頃からの一番の親友が交通事故でこの世を去ったのだ。当時の私にはとても受け入れられなかった。

それまではあまり悩むことなどなく、毎日が楽しければそれで良かった。

しかし親友の“死”を間近で経験したときに、「人はいつか必ず死ぬ」という当たり前の現実を、初めてリアルに感じた。

そして同時に、「親友のために何もしてあげられない」との無力感が私を襲った。

それからというもの、「毎日を楽しく」などという気持ちには到底なれず、「自分は何のために生きているのか」と悩み、 人生の意味がわからなくなってしまったのだ。

大学への入学という環境の変化も相まってか、心が追い付かず無気力な日が続き、授業にもほとんど行けずにいた。

大学1年の前期は数えるほどの単位しか取れず、後期もこの成績なら強制退学という状況にまでなってしまった。

このままではまずい…

「人は何のために生きるのか」

答えを求めて様々な人に聞いたが、満足のいく回答は得られず、唯一の具体的な返答が、「そういうの、池田先生の本に書いてあるよ。読んでみたら?」というものだった。

何となく宗教に反発していた私だが、好きとか嫌いとか言っている場合ではなく、自力ではどうしようもない状況に、わらにもすがる思いで、創価学会名誉会長の池田大作先生の本を読み始めた。

池田先生の書籍は青年への励ましで溢れていた。私は「答えを見つける」という当面の目的と、「先生の励まし」に背中を押され、まず毎日大学へ行けるようになった。

半年も読んでいると、仏法のこと、創価学会のこと、池田先生の言っていることが少し理解できるようになってきた。毎日大学へ行けたこともあり、強制退学はなんとか回避できた。

1年間読み続けたら、池田先生の言葉で感動する自分になっていた。不思議と心が温まり、「よし頑張ろう」と元気がでる。大学では全単位を取得することができるようになり、なんとか4年間で卒業できる希望が見えた。

私はこの時に初めて、「ちゃんと信心してみよう」「先生の言われる学会活動をやってみよう」と決めた。

仏法で説く「人は何のために生きるのか」

仏法では「生命論」を説き、今まで誰も教えてくれなかった“生死”のことを丁寧に答えてくれていた。

そして、人が生きる目的は――

“人は誰しもが今世で果たすべき使命をもち、幸せになるために生まれてくる”
“自分だけの幸せはなく、まわりの人をも幸福にしていく”

と教えていた。

仏法で説かれる幸福とは、唯物的や相対的なものではなく、環境や悩みに左右されず「生きているだけで幸せ」と感じる絶対的な精神状態だ。これを「仏界」と言ったりする。

一人ひとりが自身の生活の中で「仏界」を現していくために、南無妙法蓮華経の題目を唱え、学会活動に挑戦していく。また、この南無妙法蓮華経の題目は、「亡くなった人の生命にも届き、救っていける」と説かれていた。

仏法において生命は、私たちが今生きている「現在世」だけではなく、生まれる前の「過去世」、亡くなった後にまた生まれてくる「未来世」と、“三世永遠”に生と死を繰り返していると説いている。

池田先生は「生も歓喜、死も歓喜」という生死観を示されている。三世の生命観から見れば「生」も「死」も生命の変化の姿であり、生きているときはもちろん、亡くなってからも、また次の生命でも、常に「幸せになっていくこと」が生命の目的である――私は、そう学んだ。

「人は幸せになるために生きている」「亡くなった人をも救っていける」との哲学は、親友の死を受け入れられず、人生に迷っていた私にとって、とても救われるような気持ちにさせてくれるものだった。

読むならまず「青春対話」がおすすめです

当時の私は、ここまで明快に生死観を教えてくれている仏法と池田先生に心から感動した。特に『青春対話』は、高校生の質問に答える形で語られ、深い仏法哲理がとてもわかりやすく書かれており、何度も読み返した。

私は池田先生の励ましの言葉に「生きる希望」を見つけ、その後の学会活動で多くのことを学んだ。そのおかげで、無事に大学を4年間で卒業することもできた。

メッセージをくれた青年の「人間はなぜ生きるのか」との問いは、誰もが一度は考えたことがあるものだと思う。しかし答えが見つけられず、そのままにしてしまうことが大半だろう。

アメリカで多くのカウンセリングを行ってきた、アメリカ実践哲学協会会長のルー・マリノフ博士は、池田先生との対談集『哲学ルネサンスの対話』で、「誰もが『自分の人生の“意味”をわかりたい』と思っている」と語っている。

池田先生は『青春対話』の中で、「若いからこそ、真摯に『生命とは何か』『死んだらどうなるのか』『何のために人間は生まれてきたのか』ということを考えてほしいのです。しっかりした『生と死の哲学』をもった大人になってもらいたい」と綴っている。

私も、何のために生きるのかと悩んでいた時期は本当に辛かったが、池田先生の本を読み、「自分が幸せになるために、また亡くなった親友を含め、他の人を幸せにするため」に学会活動をするようになってからは、「その時が楽しければいい」という刹那主義はなくなった。

そして、一つ一つのことに対して、「これは何のためか」と、自身に問いかけ、より本質を求めることができるようになった。

悩む前と後で、生きることに対する向き合い方や、実際の行動は間違いなく変わったと思う。

今では、この「何のために生きるのか」と問い、悩むこと自体が、尊いことであり、人生にとって意味のあること、大事なことであるとも思っている。

私のつたない経験が、メッセージをくれた青年の参考になれば幸いである。


【参考】
○「自他共の幸福」について
https://www.sokagakkai.jp/philosophy/happiness.html

○「絶対的幸福」について
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/isshojoubuts/

○「仏界」について
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/jyukkairon03/ 

○「南無妙法蓮華経」について
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/namumyouhourenngekyo/

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