連載企画◆Look Up〜学会次世代の声②〜 父に悩まされた。だがカッコいいのも……まぁ父。[セイノジの場合]
「ありがとう!」
母と会館に行くと、ちっちゃい頃から決まってそう声をかけられた。私は何もしていないのに。そして最後はこう続く。「お父さんは素晴らしい」。両親はゴリゴリの活動家。家族が褒められて悪い気はしない。でも年齢が上がると、複雑な気持ちを抱くようになった。
父はわりと明るい。誰にでも好かれるタイプというのが、私の抱く印象。一方で自分はわりと内向的。真反対だ。誰も悪気があって言っている訳ではないと思う。だが「〇〇さんの息子さん」と言われるたび、比べられている気がしてならなかった。
年1の旅行
〝同じようにならなければいけないのか〟
そう思い、父の存在が疎ましく思えた時もあった。ただ男家族でそれなりに衝突なくやってこられたのは、一家の恒例行事があったからのような気がする。
年に1回。実家では夏に旅行へ行く。私が小1の頃から、今でも続いている。知らない街へ出向き、見たことのない景色に触れ、食事はいつもよりちょっと贅沢。そこでビールを嗜みながら、仕事で忙しかったことや学会活動の中で盛り上がったことなどを話す父は、どこにでもいる〝ふつうの親父〟だった。
気さくに話し、気さくに聞いてもくれるその時は、どこか友達みたいに父が思えてくる。
「疲れた」を言わない
その日あったことは、会えば一通り話す父。だが高校生になった頃、ふと気がついた。「疲れた」と言わない。私は部活が終わって、いつも「疲れた」と家でソファに寝転がるのに、それより遅く帰る父は決して言わない。
気になった私は、「なんで疲れたって言わないの?」と率直に聞いたことがあった。
「言っても疲れとれないじゃない」。それが父の返答。
〝そらそうかもしれないけど……〟。なんだか肩透かしをくらったような感じ。
実際に検証することにした。「疲れた」と言わないで過ごせるか。
一日を終えて家に戻ると、意識していても安心感からか「疲れた」が喉からもれ出そうになる。〝言わない、言わない〟。これでもうひと疲れしそうだ。
だが日を重ねていくと、「疲れた」を紛らすためにその日一日を振り返るようになった。要するに「疲れた」でその日を片付けなくなった。大変だったと感じたことも、どうしてそうだったのか、意味を考えるようになった。
父だって全く疲れない訳ではないと思う。ソファでうたた寝だってしているし。だが仕事や学会活動で頑張った一日を、「疲れた」ひとつで片付けないプライドみたいなものがあったのでは、というのが、私が検証を通じて感じたことだ。
これはまだ、父に報告したことはないが。
〝守る〟という生き方
「父にお世話になった」という、ある学会員の話を聞くことがあった。
職場でいじめを受け、家から出られない時期があったという。父はその人の家の前から、メールを送って励ましたこともあったのだそうだ。
ほかにも、さまざまな事情で落ち込んでいる人や、学会活動から遠ざかっていた人と会い、励ましていたことを知った。家ではあまり聞かない表情を知った気がした。
豊かな心を培い、また、人間としての生き方の骨格をつくっていくのが信仰です。
小説『新・人間革命』第9巻「鳳雛」
父の何が素晴らしいのか、ずっと考えてきた。学会という世界で、父は〝誰かを守る生き方〟を培ってきたらしい。そうして父もまた、自分に挑戦しているということを理解した時、「お父さんは……」と声をかけられることが、以前よりも気にならなくなった。
私は父と同じ人間にはなれない。
だが、周囲が喜ぶ何かをつくろうと歩き続ける両親のような、明確な生き方を自分もつかみたいと思う。だから私は、学会を選んだ。