創価学会で活動すると自由や個性は無くなるか?

宗教に対するネガティブなイメージ

宗教と聞くと、大多数の日本人はあまりいいイメージを持っていないかもしれません。昨今の旧統一教会をはじめ、宗教団体が起こした問題が取り沙汰されることで、宗教への不信感も募っています。

そうしたことから「宗教=洗脳される」というイメージが自然と染み付き、宗教を実践すると“行動も考え方も制限され、自由や個性がなくなる”という先入観につながっているのかもしれません。

そうした偏ったイメージは、“宗教2世”の私でも理解できる側面はあります。

とはいえ、宗教が十把一絡げにされることには違和感もあります。

創価学会の場合、必ずやらなければいけないという、掟のような習慣は存在しません。創価学会員が実践する朝・晩の勤行は、やった分だけ得をする、いわば「権利」のようなものであり、「義務」ではありません。

学会に「入っている」だけでは、無宗教の人となんら変わりはなく、活動をするもしないも個人の自由です。

私も、「あれをしなければならない」「こうでなくてはならない」とあれこれ言われていたら、束縛感を感じて反発していたでしょう。

ではなぜ、学会員はあえて信仰に励むのでしょうか。それは、何よりもまず、「より良く自身を変革するため」だと思います。

学会活動を始める前と後の“ビフォーアフター”

私自身、両親から信仰を強要されたことはありませんでしたが、「祈りは叶う」とは聞いていました。それでも、「夢は自分の努力で叶えるもの」「宗教に頼る必要はない」と考え、勤行もしていませんでした。また、一つの考えに染まって個性が失われるのではとも思っていました。

そんな私が学会での活動に取り組むようになったのは、自身の性格などに悩み、人生に行き詰まりを感じて、自分を変えようと決意したからでした。

ここで、日々の祈りや学会活動を通して、自分の内面で顕著に変化があった点を、二つだけ挙げたいと思います。

1点目は、コミュニケーションにおける積極性です。

以前の私は、積極的に人に話しかけることはありませんでした。というより、できませんでした。冷たい反応を恐れ、傷つくことを避けるのが先行してしまっていたのです。

今では、いつ・どこでも・誰に対しても声をかけられるようになりました。

沖縄の離島の夜、海岸で遭遇した若いお兄さんと、お互いに顔も見えないまま2時間話し込んだり、道端で出会ったイスラエル人カップルとそのままドライブに行ったり……。
以前の私を知らない友人たちに昔の私のことを話しても、誰も信じてくれません。

2点目は、過剰な完璧主義です。

完璧を目指すことは悪いことではありません。しかし私の場合、周囲の期待に応えたいとの思いが先走り、潔癖ともいえるようなルールを自分に課してしまいました。それが達成できない時は自分を責め、いちいち落ち込んでは自信をなくすことを繰り返していたのです。

また、親から言われたことや定められたルールに対して、自身の意見を一切挟んではいけないと考え、まるで完璧にプログラムされたロボットのように教条的になっていました。

今考えれば、「こうあらねばならない」と自縄自縛になり、誰かの期待に応えるだけの、不自由で没個性な存在でした。

しかし、今では失敗も受け入れて、「次に頑張ればいい」と、おおらかに捉えられるようになり、何事も型にはめない、自由な考え方ができるようになっていきました。また、周りの目を気にすることなく振る舞い、かといって強引に我を通すようなこともなく、ちょうどいいバランスを保てています(と自分では思っています…笑)。

こうしたコミュニケーションや考え方の変化は、自身の夢を語りながら前向きに生きている、魅力あふれる学会の先輩や友人たちと関わる中で起き始めました。学会活動に参加するようになり、半信半疑でしたが、祈る中で不思議と自身を深く見つめることができ、少しずつ変わっていったのです。

学会の信仰を通して、自分の考え方にも行動にも「自由」は広がり、自分らしい「個性」を確立できたと実感しています。

真に個性を発揮するには

池田大作先生は、個性について次のようにつづっています。

「今、だれもが個性、個性と簡単に言う。『自分らしく生きる』と言う。でも本当は、それは茨の道である。みんなと同じようにしているほうが楽だからだ」(写真紀行「光は詩う」〈雪柳 光の王冠〉)

「周りの目なんか気にする必要はない。自分のやりたいことを貫けばいい」。そうあるべきことはみな、分かっています。しかし、いざ実行に移すのは難しいものです。

一方で、無軌道な自由さは、単なるわがままとも言えるでしょう。

私の経験に即して言えば、真に個性を発揮していくには、

①自分自身をとことん見つめる実践
②的確なアドバイスや励ましを常に送ってくれる存在

この二つが非常に大事だと感じています。

幸いなことに、学会員なら誰でも、この二つを自然と手に入れることができます。

生きづらさを抱え、個性を発揮できないと感じている人は、宗教団体に所属している・いないに関わらず、たくさんいると思います。

だからこそ私は、自身の経験を共有しながら、そうした人に心からの励ましを送っていける存在になっていきたいと、心から願っています。

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#宗教 #活動 #体験談