私が自治会活動するワケ

地元のイベントが再開

先日(2022年9月)、3年ぶりに地元で自治会主催の小さな催しが開催された。コロナ禍の最中に引っ越してきた私にとって、初めてとなる自治会のイベントだった。近隣5世帯の班長である私も主体的に関わることになり、準備、運営、片付けにあたった。

イベントの役員のほとんどは60代、70代の先輩方。"小さな催し" といっても、テント5張り、イス50脚ほどを用意したため、準備はなかなか骨が折れた。

催しが始まると、苦労の甲斐あって予想を超える盛況ぶり。小さな子どもが背丈に合わないゲートボールのスティックを懸命に振ると、ママ・パパと一緒に見ていた "おじちゃん" たちの顔がほころぶ。木陰では、赤ちゃんを抱いたママと "おばちゃん" たちとの語らいに花が咲く。

世代を超えて、普段はなかなか接点のない人たち同士が、楽しいひとときを共有していた。

「縁」を結び直し、作り出す祭り

10月5日付の「毎日新聞」に掲載されていた、「衰退する地域の祭り」とのオピニオン記事が目にとまった。その中で、フリーライターの大石始氏は、コロナ禍の中で「(祭りの)開催が途絶えることによってコミュニティーの団結力や活力は低下した」と指摘。

さらに、人々の分断・孤立が深まる中で、盆踊りなど地域の祭りを「『縁を結び直す場』としての可能性がある」からこそ、「新たなる縁を作り出す場所」として再編成する必要性を訴えている。
そのためには「『私たちの場所』という帰属意識を育てることが重要」としている。

コロナ禍で忘れかけていた、地域のイベントが持つ底力を実感したばかりなだけに、この記事にとても共感した。

地域の幸福責任者

とはいえ、転居したばかりの30代男性の私にとって、高齢者が中心のイベント役員を引き受けるのは、正直に言えば少し心細かった。しかし、その寂しさがすぐに吹き飛んだのは、多くの創価学会の壮年部・女性部の先輩方がいたからだ。

聞けば、私の自治会では、長きにわたって学会員の先輩方が献身的に貢献してきたという。

なぜ学会の先輩方は、地域コミュニティの活動に積極的に取り組んでいるのか。長年、自治会の組長を務める壮年部員は、「私たち(学会員)が "地域の幸福責任者" だからね」とほほえむ。

創価学会第三代会長・池田大作先生は、次のように綴っている。

「妙法を持った同志は、わが地域の『幸福責任者』であり『先駆者』なのです」
「いつでも、どこでも、誰でも、目の前に苦しんでいる人がいれば、親身に声を掛ける。(創価学会は)悩みを聞き、共に泣き、共に祈り、共に喜び合う。この『一人を大切にする』人間主義の行動が、あらゆる人に無条件に開かれている」
(「聖教新聞」2018年3月25日付)

大石氏が指摘した「私たちの場所」という帰属意識は、その地域に長く暮らし、近隣住民との人間関係が深まっていく中で生まれる、地域への「愛着」によって醸成されていくものと言えよう。そのため、長年その地域に住んでいる中高年層と、新しくその地域に移ってくる若年層で、帰属意識における世代間のギャップが生まれるのはやむを得ないようにも思える。

しかし、私が出会った壮年・女性部の皆さんは、地元への「愛着」に加えて、"幸福責任者" という「使命感」を、地域活動の原動力としていた。この「使命感」にギャップがあるとすれば、それは世代によるものではなく、"自覚" によるものだ。

現実問題として、仕事や家族との時間に加え、学会活動に奮闘しながら、地域活動を両立するのは容易ではない。私自身、思いとは裏腹に、自治会の活動に参加できないこともある。

それでも、自分が住んでいる地域や近隣の方々の "幸せ" に寄与していくとの、信仰者としての使命感を自覚し続けることで、無理のない範囲で地域に関わっていけると感じている。

「自他共の幸福」を願って行動する学会員の誇りに生きる偉大な先輩方に続いて、私も地域に根を張り、地域に尽くしていける若者でありたい。

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