「宗教」が果たしうる役割
日本では、自分を「無宗教」と考える人が7割以上とされる。とはいえ、日本人の精神基盤には、宗教との関わりが色濃く残っている。初詣や墓参り、結婚式の儀礼など、実際に宗教的な心を大切にしている人は少なくない。
こうした日本人特有の宗教意識を、大阪大学の稲葉圭信教授は「無自覚の宗教性」(『利他主義と宗教』弘文堂)と呼んでいる。
自覚の有無に限らず、誰しもが「宗教」と「生活」は本来、身近なものであるはずだ。
にもかかわらず、日常生活の中で「宗教」について考える機会は皆無に等しい。
ここでは、創価学会員の立場から、宗教が果たしうる役割を、まずは3点提示したい。
(1)「祈り」は身近なもの
宗教の実践の第一は、まず「祈る」ことである。
祈るという行為は「無宗教」を自認する人からすれば、自分には縁がないと思うかもしれない。しかし、多くの日本人は、元旦になれば初詣に行く。人が亡くなれば、自然と手を合わせる。また、家族が病気になれば、回復を願って思わず、祈ることもあるだろう。
このように「祈る」という行為自体は極めて身近なものだと言える。
私たち学会員も、毎朝・毎晩、御本尊に祈る。祈りの内容は様々である。仕事や家庭など自身を取り巻く状況の好転、また友人・知人の健康、職場や地域の発展、さらには、世界の平和まで祈る。
学会員は、祈りの実践によって、自分の幸福はもとより、周囲の人の幸福にまで関心を広げようとする。この祈りに裏打ちされた行動は、学会員にとって極めて自然だ。
人との関わりを避け、孤独が深刻な社会問題となっている現代において、「他人の幸福を祈る」ことは、社会を守る第一歩となるのではないか。
(2)「良き市民」として社会に貢献
現代文明が抱える諸問題の根源は、人間の力を過信し、際限なく肥大化した欲望にあると言える。科学への過剰な期待、拝金主義、ナショナリズムなど、人間の剥き出しの欲望は、戦争、気候危機、金融危機などを引き起こしてきた。
人類の進歩は目を見張るものがある。しかし、技術革新が起きれば起きるほど、それを制御すべき人間の心の気高さが必要となるのも自明の理だ。そこに、宗教の役割も存在する。
いかに生きるべきかを説くのが宗教であり、人間に本然的に備わる「善性」を引き出すのも宗教の役割である。人の欲望を正しく導き、社会の健全な発展に尽くしていくことは、宗教の果たすべき大きな使命の一つであろう。
日蓮大聖人は、「あなたは、一身の安堵を願うなら、まず四表の静謐〈周囲の平穏、世界の平和〉を祈ることが必要ではないのか」(御書新版44㌻・御書全集31㌻、通解)と仰せである。社会の問題から目を背けて宗教の世界に閉じこもるのは、仏法の理念から反する。
学会員は、この理念のもと、自律的な生き方で、自分だけではなく他者の「善性」をも引き出す挑戦を重ねながら、社会に主体的に関わる――すなわち「良き市民」として社会貢献していくことを、重要な信仰実践と捉えている。学会員にとって、信仰に励めば励むほど、社会貢献の実践とベクトルが一致していくのだ。
(3)人と人とを結びつける
宗教(religion)という言葉はラテン語からきているが、「再びつなぐ」との意味がある。
国家、社会、個人など、どのレベルでも分断が進む現代において、人と人とをつなぐ宗教の役割が、現代ほど求められる時代はなかったかもしれない。
キリスト教やイスラム教、仏教の聖典(正典)は、何世代にもわたって人々に読み継がれ、それを受容した人々の心を耕し、文化を育んできた。
総合地球環境学研究所の山極寿一所長は「物語を作り、共有することで人々を結ぶ宗教の役割は、いまだに変わっていない」(聖教新聞2022年2月24日付)と語っている。
宗教的な理想を示すことは、共同体の結束を強め、大きなエネルギーを生み出す原動力となる。
同時に注意すべき点が、宗教が生み出す連帯の力が“内向き”に偏ると、外部に対しては閉鎖的、敵対的になることもあるということだ。
世界宗教が、民族や国家の枠にとらわれず、何世紀もの間、人々の心を引きつけてきたのは、各地域の文化・習慣等を否定せず、柔軟にとり入れて、変化し続けてきたからである。
宗教が人々を結ぶ役割を果たすためには、宗教団体が、社会との積極的な交流を通して、常に変革を図っているかどうかが厳しく問われよう。
京都大学の広井良典教授は「個々人が自分を超える存在――自然や地球、普遍的な思想とつながり、自己変革していくこと」、つまり、共同体を構成する一人一人が確固とした思想や精神性に立つことの重要性を指摘する。(聖教新聞2021年9月26日付)
まさに、学会員は、日本中、世界192カ国・地域で、宗教的規範を持って自己変革に挑み、社会貢献の行動を実践し続けている。
独善的、人間を縛り付ける、周囲を不幸にするなど、いわゆる宗教のための宗教は、宗教ではない。
宗教は、人間を強くし、より良い人生を歩ませ、現実社会で価値を創造するためにこそある。
「創価学会員だからこそ」「仏法を実践しているからこそ」との思いで、社会に貢献する学会員は数え切れない。その一人一人の歩みは、間違いなく、本来、宗教のあるべき姿を体現していると確信する。