自分の足元から「対話」の大潮流を<トインビー対談開始50周年に寄せて(上)>
20世紀を代表する歴史家アーノルド・J・トインビー博士は、池田先生との対談集『二十一世紀への対話』(英語版『生への選択』)の中で、こう喝破している。
池田先生は博士の発言に対して、次のように答えられた。
ウクライナ侵攻が始まってから2ヶ月半。現地から伝えられる、目を覆い隠したくなるような悲惨なニュースに、「戦争は絶対悪」との先生の言葉が千鈞の重みをもって胸に迫る。
武力によって問題を解決しようと、人間生命の尊厳に挑戦しているロシア軍の責任追及は当然として、トインビー博士が「戦争とは外交の失敗に対する報いである、といったほうが真実に近い」と指摘したように、このような事態を防げなかった国際社会の在り方も問い直さなければならないだろう。今はただ、一人でも多くの尊い人命が守られるよう、即時停戦と人道支援の進展を祈るばかりである。
核保有国による国連憲章の違反と、“核による脅し”ともとれる言動によって、国際社会は今、真の意味で「新冷戦」の時代に突入したといわれている。冷戦そのものが1989年に終わっていなかったという主張もあるが、「民主主義と専制主義の闘い」が声高に叫ばれ、世界が再び二極化する恐れが強まっているのは間違いない。
新型コロナウイルスという終わりの見えない感染症との戦い、人類最大の危機といわれる気候変動への対策も待ったなしだ。誰もが平和な世紀を望んだ21世紀は、「テロとの戦い」で幕を開け、四半世紀になろうとする今、戦後最大の危機が複合的に発生する事態に直面している。
21世紀の人類のために
「我々二人で現在、人類の直面する基本的な諸課題について、対談をしたい」
トインビー博士の書簡に端を発し、池田先生と博士が初めて出会ったのは1972年5月5日。今月で50周年の節目を迎えた。
初対面の時、池田先生が「二十一世紀に生き残る多くの世代にとって、なんらかの問題解決への糸口となるならば、私にとって望外の幸せです」と伝えると、博士は「やりましょう! 二十一世紀の人類のために、語り継ぎましょう」と。
1972年と翌73年にかけて行われた延べ10日間、40時間にわたる対談で、池田先生とトインビー博士は、「人間とは何か、また、いかにして生きるべきか」「どうすれば平和を実現できるのか」「生命とは何か」などについて、縦横無尽に語り合った。21世紀を生きる私たちが「いかに人類の危機に応戦するのか」を展望したトインビー対談は、今まさに立ち返るべき一書だ。
トインビー対談は、75年に『二十一世紀への対話』、76年に英語版『生への選択』として発刊されて以来、これまで31言語で翻訳・出版され、「現代の百科事典」(オックスフォード大学の宗教社会学者ブライアン・ウィルソン博士)等と高い評価を受けてきた。国連事務総長や各国大統領、ハーバード大学教授など超一級の学識者に読み継がれ、世界の大学でも教材として使われてきた。
20年以上にわたり授業の教科書としてトインビー対談を取り上げてきた、ポーランド屈指の名門ヴロツワフ大学のアダム・フミエレフスキ教授(ポーランド語版の翻訳者)は、こう述べている。
歴史をつくるのは「水底のゆるやかな動き」
トインビー博士はかつて、究極において歴史をつくるのは、目を引くニュースではなく、「水底のゆるやかな動き」であると訴えた(『試練に立つ文明』)。
池田先生と対談しているさなかでも、政治家の会談がテレビで報じられているのを見ながら、「あのような対談も重要です。しかし、地味に見えるかもしれないが、われわれの対談はすべて21世紀のためのものです。未来のために語り継ぎましょう」と語った。
分断、対立、格差、感染症、そして戦争――。世相は混迷を極め、戦後秩序の一大転換点を迎えたといわれる今この時に、自分たちに何ができるのか。
諦めや無力感からは、何も生まれない。私たち創価学会青年部は、池田先生が世界の知性との語らいで示されている通り、「対話にこそ世界平和への直道」があると確信してやまない。
信条や立場は違えど、目の前の相手に敬意を払い、語り合っていくならば、必ずや分かり合える。この粘り強い「対話」の実践が「水底のゆるやかな動き」となって、一歩また一歩と、平和への歩みを前進させていく。今こそ、創価の青年が「世界平和」という大目的を掲げ、自分の足元から「対話」の大潮流を起こしていく時である。