Makeover #03 オリコン1位 多数の作曲家 川浦正大さん
「Makeover 私を支えてくれた言葉」は、
青年世代が仏法の実践を通し感じた成長や変化を、
第3弾は、次々とヒット作を生み出す作曲家の川浦正大さんです。
元々は、宗教が嫌いだったと語る川浦さん。創価学会での活動を通じて起きた変化を振り返ります。
■動画の概要
――二十歳の川浦さんは、全く売れないシンガーソングライターだった。
「うまくいかない時期が多かったので、それを周りのせいにしてしまって。曲とか歌詞にもそういうのが出ちゃってる。もともと自分の家が創価学会で、実は私は宗教が嫌いだったんですけれども、自分自身は何かすがっているというか、助けてほしいとお願いしているみたいな形で思っていて」
――そんな時、学会の先輩が家を訪ねてきた。
「1時間とか2時間話を聞いてくれて、ライブにも来てくれまして、この人のことだったら信じられるんじゃないかなと思って飛び込んでみたというか、始めてみたという形です。先輩からもらった書籍の中に、〝環境ではなく自分自身だ〟という言葉があって、今まで周りのせいにしていた自分が原因だったんだって気づいて。自分が頑張れば道が切り開いていけるんじゃないかなと思ったので、頑張ってみようかなと」
――「自分が変わる」ことに気づき努力を開始する。
「まずはお題目を上げるようになったということと、あと音楽の活動の方では、できることは何でもやろうと思えるようになったんですね」
――作曲の道へ転向することを決意。
「日本のほぼ全てのレコード会社に、当時、自分の曲を全部送ったりとか。あとはSNSで海外の人にいっぱい聴いてもらいたいということで、4000人ぐらいに聴いてくださいって連絡したりとか。採用されるかどうかは全部コンペなので、1年以上採用されない時もある。250個書いて全く採用されなくて、何の1年だったんだろうなみたいな時は一番辛かったですね」
――そんなとき作曲の師に出会う。
「作曲家の忘年会でたまたま出会って、すごく話が合うというか、アドバイスとかもくれて。どん底というか、落ち込んでいる時に、ものすごく励ましてくれた。技術の部分だったりとかを学んで、それを自分の作品に活かしたりとか、そこで題目を上げてこうやっていけばいいんだろうとか。ご祈念帳の中に大きな作品を勝ち取っていきたいと、ずっと祈っていたんですけれども、作品自体の底上げがされたっていうのが採用に繋がったのかなと思っています」
――「自分が変わる」ことで有名アイドルの曲を手がける作曲家へ成長した。しかし、2022年――。
「脾臓に5.6~5.7センチぐらいの腫瘍があることが分かったんです。〝ああ、もう死ぬのかな〟みたいな感じだったんです。病院で精密検査をして、不安というか、眠れないし、どうしようという感じだったんです」
――祈る中で、とらえ方が変化していった。作品にも深みが増し、さらなるヒット作につながった。
「ずっと祈っていたら、状況は変わっていないけれども、良い意味で気にならなくなったのか、いわゆる苦しいっていう命に執着しなくなった。そういうのは諦めではなくて、むしろ、気にしないで前向きに頑張っていった方が、きっと体にはいいと思うので、自分がまたさらに、ちょっと強くなれたのかなというか。曲も悩みながら作るのではなく、前向きに曲を作ることができたので、その中の1曲が大きな作品に繋がったので」
――苦しい時、糧にした言葉
「発心して信心を始めたばかりの時に〝冬は必ず春となる〟っていう言葉と出会ったんです。自分自身が今、うまくいかない現状というのも、後から考えると〝ああ、この選択して良かったな〟という風に思えるのが、やっぱり題目あげながら選んだことというか。1年ぐらい決まらなかった時期っていうのも、今思えばそれがあったから楽曲研究ができたりとか、より緻密に作れるようになったりとか、全部無駄はないんだなという」
――今、川浦さんが伝えたいこと。
「音楽を通して喜んでいただきたい。悩んだりとか苦しんだりとかした分、関わる人を励ませたりとか、少しでも何か自分の生きてきたもの、感じてきたものが出会う人にプラスになっていけたらいいなとは思っているところです」