できることへの挑戦が周囲の希望に 2025年5月度座談会拝読御書「単衣抄」
創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。
春から環境が新しくなった方も、少し慣れてくる頃でしょうか。
いわゆる「五月病」が出る時期でもあります。がんばろうと思っていたはずなのに、気持ちがついてこない。そんな自分を周りの人と比べて悶々とする。そんな自分にダメ出ししたくなって、さらに落ち込んで……なんてループに入ってしまうこともあるかもしれません。
そんな時は、「自分なんてどうせ……」と、ついため息交じりに自分を否定してしまいがちですよね。
しかし仏法では、私たちに「ありのままの自分でいい」ことを教えています。
それは、「自分だからこそできること」「自分にしかできないこと」があると言ってもいいでしょう。それに気づくことができれば今の自分にも、もっと自信を持てるんじゃないでしょうか。
そんな「自分だからこそできること」に挑む姿勢を、私たちに示してくださった日蓮大聖人の生き方について「単衣抄」から学びたいと思います。
拝読御書について
日蓮大聖人が身延に入山して1年余りが経過した1275年(建治元年)8月、54歳の時、単衣(=裏地の付いていない着物)1枚を供養した夫妻に送られた御礼のお手紙です。
夫妻については、名前も定かでありませんが、南条家ゆかりの人々ではないかと推察されます。大聖人の身延での生活は、食料や衣服も乏しく、衰弱された身にはとても厳しいものでした。そうした中で、大聖人は夫妻の真心を非常に喜ばれています。
大聖人は御自身の大難の御生涯を振り返られ、こうした大難の足跡は、釈尊滅後の「法華経の行者(法華経を実践する人)」について、法華経に示された未来記(未来に対する予言)に完全に合致しており、大聖人が、仏の言葉が真実であることを証明したのだと教えられています。
最後に法華経の行者である大聖人への供養は、多くの仏へ供養したことと同じ功徳があり、多くの仏たちが夫妻の生きている間は祈りを叶え、臨終のときは夫妻を霊山浄土へ迎えてくれるだろうと教え、手紙を結ばれています。
大聖人が仏の言葉を証明
本文
日蓮、日本国に出現せずば、如来の金言も虚しくなり、多宝の証明もなにかせん。十方の諸仏の御語も妄語となりなん。仏の滅後二千二百二十余年、月氏・漢土・日本に「一切世間多怨難信(一切世間に怨多くして信じ難し)」の人なし。日蓮なくば、仏語既に絶えなん。
(御書新版1849㌻4行目~6行目・御書全集1514㌻13行目~15行目)
意味
日蓮が日本国に出現しなければ、仏の金言も虚言(そらごと)となり、多宝如来が「法華経は真実である」と言った証明も、何の役にも立たない。十方の諸仏のお言葉も、うそとなるであろう。
仏が亡くなられて、二千二百二十余年の間、インド、中国、日本に「世間の人々に敵対者が多く、信ずることが難しい」と説かれる経文通りに難に遭った者はいない。
日蓮がいなければ、仏の言葉は、もはや途絶えてしまったことであろう。
語句の説明
・「一切世間多怨難信」(いっさいせけんたおんなんしん)
法華経安楽行品第14の文(法華経443㌻)。仏が法華経を説く時は、どのような世間でも敵対・反発が多く、信じることがなかなかできないとの意。
大聖人は冒頭で、もし日蓮が出現しなければ、仏の言葉は嘘になっていたと仰せです。また多宝如来による「法華経は真実である」との証明も、意味がなくなってしまうと示されています。
では、なぜ仏の言葉が嘘になるところだったのでしょう。
法華経には、釈尊の滅後に法華経を弘める者が大きな迫害に遭うことが予言されています。しかし実際には、釈尊が亡くなった後、そのような困難を体現した人物は現れませんでした。
そうした中で、大聖人は法華経を実践し、経文の通りの大きな難を受けられました。その生き様が法華経の予言を証明したのです。大聖人の実践がなければ、仏の言葉が嘘になってしまうところだったのです。
御自身の生涯そのものを通して仏の金言を証明された大聖人のこの言葉は、数々の試練を乗り越えて勝ち取られた、大聖人の勝利の宣言でもあったのではないかと拝されます。
自分にできることを
仏の言葉の正しさを初めて証明したのが大聖人であり、それは、大聖人にしかできなかったことです。
飛躍するかもしれませんが、私たちにも、自分だからこそできること、自分にしかできないことがあるのです。
例えば、あなたの笑顔やちょっとした一言が、友達の心を救っているかもしれないし、職場や学校で、あなたの存在がチームの空気を和らげているかもしれない。大げさに聞こえるかもしれませんが、一人が周囲に与える影響は大きいものです。
そして、誰かと同じようにならなきゃいけない、なんてことはありません。それぞれが、自分の個性や持ち味を活かして、それぞれの場所で輝いていけばいいんです。
他の誰かと比べることなく、人と話すのが好きな人は、自分から人に声を掛けることで元気を送る、料理が得意な人は料理で人に癒しを与える、コツコツ努力するタイプの人はその姿勢で周囲を勇気づける……などなど。それぞれが自分にできることに挑戦し続けていくことで、自分らしく輝いてくことができます。
そして、そうやって、今、そこで頑張っていること、そこにいるということ、あなたという存在が、家族や友人、職場の人たちにきっと希望や勇気を与えています。
自分は大聖人ほどの大きなことを成し遂げる人間ではないと思えても、自分の悩みとの格闘や、日々の小さな行動や誠実な姿で、誰かの心に火を灯す。ささやかに思えるかも知れませんが、そんな生き方も素敵ではないでしょうか。
池田先生は綴られています。
「それぞれが自分の特性に合わせて、自分らしく輝いていけばよいのです。そこに、『桜梅桃李』(注)という真実の人間尊敬の世界が開かれます。万人がそれぞれに輝き、互いに照らし合っていくのです。
一切の出発点は、どこまでも、自分の可能性を信頼することから始まります。仏法は、全ての人の味方です。そして誰もが、世界を照らす希望の太陽となれるのです」(『未来の希望「正義の走者」に贈る』)
(注)桜梅桃李[おうばいとうり]
桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李というように、万人がそれぞれの個性や多様性に従って、ありのままの姿形を改めることなく、自分らしく花を咲かせて生き抜いていくこと。
自分らしく半歩ずつでも、一歩ずつでも自分のペースで進むことが、人のためにつながっていると信じて、不安を振り払いましょう。
周囲に希望を送る太陽のような自分を感じられた時、きっと五月病もどこかへ行ってしまっているはずです。
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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