決意という原因と勝利という結果 2025年3月度座談会拝読御書「上野尼御前御返事(烏竜遺竜の事)」
創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。
年度末、何かと慌ただしい毎日を過ごしている、そこのあなた。仕事や家事などに追われるうちに、かつて立てた自身の目標を達成できず、どこかもんもんとしたり、あきらめてしまったりしていませんか。
……こう書いてはみたものの、私自身も、その一人です。まさに「あちらを立てればこちらが立たず」な状況に陥っています(苦笑)。とはいえ、多様で複雑な現代社会では、目標までの道が分かりづらく、この道でいいのかと不安を覚えるものです。
今回は、「上野尼御前御返事(烏竜遺竜の事)」を通し、そんな社会で力強く生きるヒントを考えたいと思います。
拝読御書について
本抄は1280年(弘安3年)11月、日蓮大聖人が駿河国(現在の静岡県中央部)の門下である南条時光の母・上野尼御前に送られたお手紙です。
執筆のきっかけは、上野尼御前が、実父である松野六郎左衛門入道の命日にあたって大聖人に御供養したことでした。
亡き父の追善回向に際し、親族の中に法華経以外の教えで回向する人がいたことから、上野尼御前は謗法になるのではないかと不安を抱いていたようです。
そんな上野尼御前に宛てたお手紙の中で、大聖人は、法華経以外のさまざまな経典が、先に善根を積み(仏因)、後に仏になる(仏果)と説く、成仏がいつできるのか「不定」(不確か)な教えであるのに対し、法華経は、花と実が同時に成長する蓮華と同じように、仏因(原因)と仏果(結果)が同時に具わる「因果俱時」の教えであることを明かされました。
お手紙を通し、大聖人は、上野尼御前の純粋な信心で追善回向すれば、亡き父が成仏することは間違いないと教えられるとともに、法華経による真の孝養と父子一体の成仏を示す烏竜(父)と遺竜(子)の故事を引きながら、信心の真心が、亡き父への最高の追善となると励まされています。
「ただちに」に成仏できる
本文
法華経と申すは、手に取ればその手やがて仏に成り、口に唱うればその口即ち仏なり。譬えば、天月の東の山の端に出ずれば、その時即ち水に影の浮かぶがごとく、音とひびきとの同時なるがごとし。故に、経に云わく「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」云々。文の心は、この経を持つ人は、百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。
(御書新版1913ページ3行目~7行目・御書全集1580ページ6行目〜9行目)
意味
法華経というのは、手に取れば、その手が直ちに仏に成り、口に唱えれば、その口がそのまま仏です。
譬えば、天の月が東の山の端に出れば、その時、直ちに月の影が水に浮かぶように、また、音の響きが同時であるようなものです。
ゆえに、法華経に「もし法を聞いた者は、一人として成仏しない者はいない」と説かれています。
文の心は、この経を持つ人は、百人は百人すべて、千人は千人、すべて一人も欠けることなく仏に成るという文です。
語句の説明
・「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」
法華経方便品第2の文(法華経138㌻)。法華経を信受する者は、一人として成仏しないことはないとの意。
拝読箇所の前半で、大聖人は、法華経を信じて、手に取り、また口に唱えれば、「ただちに」仏になると仰せです。
この「ただちに」について、大聖人は、月と音の譬えを用いて示されています。空に月が出れば、即座に水面にその影が映る。また太鼓や鐘を打って音を鳴らせば、即座に響きが伝わる。それらと同じように、私たちが南無妙法蓮華経の題目を唱えた瞬間に、自身に本来具わる仏界の生命が涌現する――大聖人は、法華経が「因果俱時」の教えであることを分かりやすく譬えてくださっているわけです。
なお、仏になる、すなわち、成仏について、法華経以外のさまざまな経典では、「成仏」が説かれていても、少なくとも二つのことが条件とされていました。
一つは、二乗(声聞・縁覚)・悪人・女人ではないこと。
二つには、何度も何度も生死を繰り返して仏道修行を行い(歴劫修行)、凡夫の境涯を断滅して仏の境涯に到達するとされたこと。
これに対して、法華経では、誰もが等しく、自身のその身に仏界の生命を開き現すことができると説きました。
拝読箇所の後半で、大聖人は、「この経を持つ人」は「一人もかけず」成仏することを明かされます。
すなわち、妙法を受持し、信心を貫く人は、一人ももれなく必ず宿命転換を果たし、何があっても崩れることのない、絶対的幸福境涯を築くことができるという大確信を示されています。
「今の決意が未来の勝利」と信じて
今回の拝読箇所で示された法華経の「因果俱時」の教えは、複雑な因果が絡み合う現代社会で、困難な状況に陥りがちな私たちに、どういったヒントを与えてくれるのでしょうか。
そんなことを考えた時、思い起こしたのが、ドイツの文豪ゲーテの言葉です。
「いつかは目標に通じる歩みを一歩々々と運んでいくのでは足りない。その一歩々々が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならない」(山下肇訳『ゲーテとの対話』岩波文庫)
この意味は、平たく言えば、現在の歩みは、勝利の未来への「手段」だけではなく、その歩み自体の中に、絶えず「目的」が実現されていなければならない――ということでしょうか。
これになぞらえて「因果俱時」の教えを捉えてみると、今、置かれている困難な状況や自身の殻を破ろうと、一歩踏み出す決意をすることも、具体的に一歩を踏み出すことも、実はそれ自体がその人にとっての成長であり勝利と言えます。
さらには、未来における勝利や成長も約束しているのです。そう信じることで、一層、強い決意を立て、勝利の因とすることができます。
池田先生は語っています。
「失敗したり、壁にぶつかったり、病気をしたりすると、つい人間は弱気になってしまう。しかし、あえて強気で進むのである。『次は必ず勝ってみせる!』『必ず健康になって、生きぬいてみせる!』
こう自分で強く決意できたときには、すでに勝っている」(『池田大作全集』第100巻)
創価学会員が常に希望をもって挑んでいけるのは、まさに、学会全体に「因果俱時」の考えが脈打ち、お互いが強い決意に立てるよう、励まし合っているからだと思います。
現代社会にあって、そうした励ましは重要ではないでしょうか。
私自身、今回の御書を学んだことをきっかけに、もう一度、自身が立てた目標を達成する決意をするとともに、周囲の一人一人が、それぞれの一歩を踏み出していけるような、励ましのネットワークを広げていきたいと思いました。
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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