心にいつも希望の太陽を 2025年1月度座談会拝読御書「三沢抄」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

新年明けましておめでとうございます。2025年がスタートしました。

初日の出は、ご覧になりましたか?

私は毎年、夜明けまで起きていようと決意しますが、年越しのテレビ番組を見ているうちにウトウトしてしまい、気づいたら、すでに太陽が高くのぼっていた、なんてことに。

太陽は昔から、人間の暮らしと密接に関係し、宗教や国の成り立ちにも大きく関わってきました。

それだけでなく、陽光は私たちにとって、ストレス軽減や様々な健康効果につながるらしいですね。

日蓮大聖人の仏法は、「太陽の仏法」と言われています。

闇が深ければ深いほど、太陽の光はまばゆく輝くもの。今回の御文は、苦境に立つ弟子への、温かな励ましのお手紙です。

拝読御書について

今回学ぶ御書は「三沢抄」です。

1278年(建治4年)2月、日蓮大聖人が、駿河国(静岡県中央部)の富士方面にある三沢に住んでいた、三沢殿に送られたお手紙です。

この頃、富士方面の熱原で大聖人門下への圧迫が始まっており、翌年にはその激しさが頂点を迎えます。

その中にあって、音信が途絶えがちだった三沢殿からの使いがあり、この機会に、大聖人が三沢殿を励まされたお手紙が本抄です。

本抄ではまず、仏法を実践すると必ず、三障四魔(注1)、なかでも天子魔(第六天の魔王)による大難が起こるため、仏道を成就するのが困難であると述べられます。

(注1)三障四魔[さんしょうしま]
正法を信じ行ずる時、信心の深化と実践を阻もうとする働き。三種類の障り、妨げと、四種類の魔(修行者の生命から妙法の当体としての生命の輝きを奪う働き)。うち天子魔とは、他化自在天魔の略で、最も本源的な魔のこと。

そして、こういった大難が起こることを覚悟の上で、大聖人は民衆救済の御闘争を開始されたことを明かされています。

さらに大聖人は、末法(注2)においては、それ以前の正法・像法時代の仏法は力を失い、この真実の大法が世界中に流布していくであろうと宣言されます。

(注2)末法[まっぽう]
釈尊滅後、仏法がどのように受容されるかについての時代区分(正法・像法・末法の三時)の一つ。正法とは、仏の教えが正しく行われる時代。像法とは、仏の説いた教えが形骸化した時代。末法とは、教えの功力が消滅する時代。

そして、三沢殿に峻厳な師弟のあり方を教えられるとともに、久しぶりの三沢殿からの便りを喜ばれます。

最後に真言宗の誤りをただして、本抄を結ばれています。

本文

この法門出現せば、正法・像法に論師・人師の申せし法門は、皆、日出でて後の星の光、巧匠の後に拙きを知るなるべし。この時には、正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きえうせて、ただこの大法のみ一閻浮提に流布すべしとみえて候。各々はかかる法門にちぎり有る人なれば、たのもしとおぼすべし。

(御書新版2014㌻1行目~4行目・御書全集1489㌻15行目~17行目)

意味

この法門が出現するならば、正法時代や像法時代に論師や人師が説いた法門は、どれも、日が出た後の星の光のようなものであり、名匠が出た後に(以前のものの)拙さが分かるようになるだろう。
この時には正法・像法の寺院の建物にある仏像や僧たちの利益は全て消え失せて、ただこの大法だけが全世界に流布するであろうと説かれている。
あなた方は、このような法門に縁ある人なのだから、頼もしく思いなさい。

語句の説明

・「論師」(ろんじ)
「論」を著して仏法を宣揚する人。
・「人師」(にんし)
論師に対する言葉。「経」「論」を解釈して人々を導く人のこと。

拝読御文の冒頭にある、「この法門」とは、日蓮大聖人の仏法を指します。

太陽は万人を平等に照らしています。また太陽が昇れば、夜空で輝いていた星々の光は見えなくなります。同じように職人の仕事にしても、本当の名匠が出れば、それ以前の仕事の拙さが分かります。

こうした譬えを通して、大聖人が唱えた南無妙法蓮華経の仏法が出現すると、正法・像法時代に説かれた法門は、すべて力を失ってしまうと仰せです。

大聖人のいた鎌倉時代は、末法思想が一種の〝終末観〟として人々の心を捉え、社会全体に不安や絶望感がまん延していました。多くの人が念仏信仰によって来世に希望を求め、鎌倉幕府は真言による祈禱(きとう)を盛んに行っていました。

苦悩が渦巻く時代にあっては、そういった信仰も、暗黒の世に灯った明かりだったかもしれません。ちょうど、闇の中で道に迷ったとき、輝く星の光が安心や癒しを与え、道を指し示してくれるようなものです。

しかし、太陽が昇ってすべてを照らし出せば、星々の光の役目は終わります。

闇の中では、先が見えずに曲がりくねった道だと思って迷っていても、太陽の光に照らし出されれば、「なんだ、こんな道だったのか」と安心できます。

この〝闇〟とは、一人一人の心を覆う闇のことです。私たち一人ひとりの生命に、あらゆる困難を乗り越えゆく勇気と智慧が備わっていることを信じられないということです。仏法ではそれを「無明」と言います。

私たちの信仰は、どんな人でも生命の無限の可能性を開き、自他共の幸福を実現し、社会の平和を築いていくことができると教えています。

だから、大聖人は、寺やお堂の仏像に祈ったり、僧に祈ってもらったりするような正法・像法時代のすべての利益は星の光のようなものであり、大聖人の太陽の仏法の前に、ことごとく消え失せると宣言されたのです。

明けない夜はないと信じて

三沢殿のように、周囲に大聖人の仏法への理解者が少ないだけでなく、迫害される恐れもある中で、この仏法を信じ実践するというのは大変なことです。

また、多種多様な価値観が存在する現代で、周囲の環境、情報に惑わされることなく、一つの信仰を貫くことも同じくらい大変なことではないでしょうか。

大聖人は、苦難に立たされた弟子に対して、一人一人がこの仏法に「ちぎり有る人」、つまり、仏法に深い縁がある人であるとたたえられています。

そして、「たのもし」と大功徳を確信するよう励まされています。私たちも、自身の中に、智慧と勇気と希望の太陽があると信じる強さを持ちたいものです。

池田先生はこう言われています。

「もしも今、希望がないなら、自分で希望をつくるのです。もしも今、不幸だというなら、自分で幸福を生み出すのです。まず自分自身が太陽になって、周りに陽光を広げるのです」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』15)

どんな雨の日でも、雲の上には太陽が輝いています。深い闇の夜が来ても、必ず温かな陽光が差す朝が来ます。

心にいつも〝希望の光〟が輝く人は、どんな苦難にも立ち向かっていくことができるのです。

赤々と昇る新年の太陽のように、清新な思いで、1年のスタートを切ってまいりましょう!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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