「さあ!」「いよいよ!」と自分を励ます 2024年12月度座談会拝読御書「阿仏房尼御前御返事」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

今年も残すところ、あと1カ月となりました。皆さんにとってどんな一年になったでしょうか……と、結論を出すのはまだ早いです! 今年は「まだ」1カ月もあります。

2024年から2025年へバトンを渡すこの期間は、いわばリレー競技の「テイクオーバーゾーン」(言いたいだけ)!!

ということで来年に向かって、本年最後の座談会拝読御書を学んでいきましょう!

拝読御書について

今回学ぶ御書は「阿仏房尼御前御返事」です。

1275年(建治元年)9月3日、日蓮大聖人が54歳の時に身延で書かれたお手紙です。タイトルの通り、お手紙を受け取ったのは、佐渡に暮らす阿仏房の夫人で、「千日尼」と呼ばれる女性門下です。

阿仏房夫妻は、念仏を信仰していましたが、佐渡への流刑に処された大聖人に帰依します。

当時、大聖人の置かれた環境は大変厳しいものでした。
凍てつく寒さの佐渡の地で、着るものも、食べるものも乏しい中、念仏者らに命を狙われるという過酷な毎日。大聖人の身を案じた千日尼は、夫の阿仏房に食料を託してお届けするなど、真心を尽くして大聖人にお仕えしました。

大聖人を助けたことで、夫妻は住まいを追われるなどの苦難にも遭います。しかし、くじけずに信念を貫き、大聖人が幕府から赦免されて鎌倉に戻られた後も、強い求道心を燃やして、千日尼は佐渡の女性門下の中心となって信心に励んでいきます。

今回の御書は、大聖人が佐渡を離れてから約一年半後、身延にいる大聖人へ、千日尼が送った質問に対する御返事です。

千日尼は「謗法」について、大聖人に尋ねていたようです。謗法とは、正しい教えを信じることができず、反発して悪口を言うなど、正法を否定することです。

先述の通り、千日尼は夫の阿仏房と共に、かつては念仏を信仰していました。それは謗法に当たることから「念仏を信仰していた私たちは、成仏は叶わないのではないか」と悩んでいたのかもしれません。

弟子からの切実な問いに対して大聖人は、法華経にこそ、あらゆる人の成仏が説かれていることを述べ、その真実を素直に信じていくことが重要であると示されます。

今回学ぶ範囲は、その強い確信をもって弟子を励ますところです。

困難を見下ろす大境涯

本文

いよいよ信心をはげみ給うべし。仏法の道理を人に語らん者をば、男女僧尼必ずにくむべし。よしにくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。「如説修行」の人とは、これなり。

(御書新版1730㌻14行目~16行目・御書全集1308㌻4行目~5行目)

意味

ますます信心に励んでいきなさい。仏法の道理を人に語っていく者を、在家の男女・出家の僧尼、すなわちあらゆる人が必ず憎むにちがいない。よし、憎むなら憎むがよい、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安などの金言に身を任せなさい。「如説修行(=仏の説いた教え通りに修行すること)」の人とは、こういう人をいうのである。

謗法の者が多い厳寒の地で、懸命に信心を貫いてきた千日尼に、あえて大聖人は「ますます強い信心に励んでいきなさい」と励ましを送ります。

これまで阿仏房夫妻が数々の中傷や批判を受けてきたことを全て分かった上で、「よし、憎むなら憎むがよい」と断言されています。どんな苦難があろうと、それを悠然と見下ろして、大きな境涯で進んでいこうと励まされるのです。

続いて、「法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし」とあります。

法華経では、末法において正法を弘める時には必ず障魔が競い起こると示されています。

インドの釈尊はもちろん、中国・日本で仏道修行を貫いた天台大師、妙楽大師、伝教大師、章安大師もそうです。正しい法を弘めるがゆえに、必ず苦難が起こる。しかし、その度に嵐を乗り越えて、時代の広宣流布を進めていったのです。

大聖人はそうした苦難を勝ち越えてきた先人の言葉を「金言」と称して、それに「身を任せていきなさい」と言われています。その金言通りに信心に励む人こそ「如説修行(=仏の説いた教え通りに修行すること)の人とは、こういう人をいうのである」と結論されます。

負けない心の強さ

正しい教えに出合い、懸命に信心を実践してきた千日尼でも、無理解の人々から数々の非難を毎日のように受ければ、「本当に幸せになれるのだろうか」と考えるのは、当然かもしれません。

万人の成仏を説く法華経は、「難信難解(信じ難く理解し難い)」といわれるのですが、現実社会で直面する苦難や、それに起因して起こる自身の内面の不信を断ち切って、正しい教えを信じ切るのは並大抵のことではありません。

しかし、そうした心の暗雲を吹き払うように、大聖人は「たとえ憎まれようとも、幸福を確信していきなさい!」と勇気を送っているのです。

今回の御文を拝して、思い出したことがあります。
私が尊敬する男子部の先輩に、息子さんが生まれた時のこと。先輩は、「自分と同じ病気をもって生まれてきたんだ」と悩みを打ち明けてくれました。遺伝の可能性がある病でした。

「子どもは助かるんだろうか」と悩み、心は不安でいっぱいだったそうです。

しかし、「この信心で勝つと決めたから」と、夫婦で励まし合いながら、息子さんの病気と向き合っていきました。

唱題に励むうち、「自分に乗り越えられた病気なんだから、この子にも病に勝つ力が必ずある」と、心が定まったのです。

ついには病を乗り越えることができ、今、息子さんは元気に成長されています。

先輩の姿を通して、困難に負けない心の強さを学びました。

それは、今回の御文に即していえば、「病よ、来るなら来い」とも言い換えられるような、何ものにも揺るがない心を定めた人の魂の強さです。

この先輩の確信ある言葉もまた、私や他の誰かにとっての“金言”となって、希望を与えてくれるのだと思います。苦難を乗り越えてきた先人の言葉には重みがあります。

池田先生は、苦難に直面する人に次のように励ましを送っています。

人生は、戦いである。人生は、挑戦である。人生は、鍛錬である。困難を避けて、人生はない。いかなる試練に直面しようとも、「さあ戦おう!」「成長するチャンスだ!」と勇んで立ち向かっていく、「強い自分」をつくるのが日蓮大聖人の仏法である。この「戦う魂」を持った人が最後は勝つのだ。(「大白蓮華」2015年10月号)

皆さんも、今年、たくさんの困難があったと思います。
それは言うなれば、たくさんの成長のチャンスを掴んできたということです。

試練が訪れた時には「さあ!いよいよ!」と自身の心を鼓舞すると決めて、明年に向かう助走を始めていきましょう!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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