大変な時こそ、自分を信じて 2024年10月度座談会拝読御書「聖人御難事」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

季節は秋。今年は残暑も厳しく、そのうえ、急に気温が下がったため、体の調節機能が追いついていない感じがします。

先日、聖教新聞を見ていたら、秋バテについて特集していて、夏バテだけじゃなくて「ずっとバテることになるのか」と、しゅんとしてしまいました。

さらに、仕事も急に慌ただしくなり、いろいろな締め切りに追われている今日この頃です。あ、ぼやきしかでていませんね。

体と心が疲れてくると、だんだんと受け身になって、起きる変化に対して、ただ対応するだけで精いっぱいになってしまうように感じます。

しかし、実際は事態を打開するためにも、大変な時ほど、心構えや能動的な姿勢が大事なようにも思っています。

大変な時に、前に進んでいくための鍵を「聖人御難事」から学びましょう。

拝読御書について 

今月の御書は「聖人御難事」です。1279年(弘安2年)10月1日、日蓮大聖人が身延で著され、門下一同に与えられたお手紙です。

当時、駿河国(現在の静岡県中央部)の一帯で、大聖人の弟子の日興上人を中心に弘教が大きく進んでいました。その勢いに危機感を抱いた地域の寺院が、大聖人門下への迫害を企てます。“大聖人の弟子たちが武器を持って討ち入り、農作物を刈り取って盗んだ”などと、虚偽の訴訟を起こしました。そのため、20人もの熱原の農民門下が、冤罪で捕らえられ、鎌倉に連行されます。

農民門下たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられます。

「聖人御難事」で大聖人は、ご自身の「出世の本懐(この世に出現した真の目的)」を示されつつ、大聖人が、法華経に説かれた通りの数々の大難に遭い、勝ち越えたことを振り返り、仏の言葉が真実であると証明したことを宣言されています。

そして、日々強盛な信心を貫き、大聖人と同じ「師子王の心」を取り出して、難に立ち向かっていくよう励まされています。

連行された門下たちは、幕府の権力者から拷問に等しい取り調べを受け、法華経の信仰を捨てるよう脅されます。しかし、一人も屈することなく、全員が信心を貫き通しました。

日々の努力で負けない人生を

本文

たとい大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば梵釈・日月・四天等、天照太神・八幡の守護し給うゆえに、ばっしがたかるべしと存じ給うべし。月々日々につより給え。すこしもたゆむ心あらば、魔たよりをうべし。

(御書新版1620㌻4行目~7行目・御書全集1190㌻10行目~12行目)

意味

たとえ大鬼神がついた人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王また天照太神・八幡大菩薩が守護されているゆえに、罰することができないと、確信していきなさい。月々日々に、信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきに付けこんでくるであろう。

語句の説明

・「大鬼神」(だいきじん)
善鬼と悪鬼の両方の意味があるが、ここでは悪鬼
・梵釈・日月・四天(ぼんしゃく・にちがつ・してん)
法華経守護の諸天善神のこと。梵釈は、大梵天王、帝釈天王、日月は日天子、月天子、四天は持国天、増長天、広目天、多聞天。

大聖人は、熱原の法難が起き、権力からの迫害を恐れているであろう弟子に対して、正法を持てば必ず諸天善神に守護されると強調し、そのために、日々信心を向上させ、魔を寄せ付けないよう呼びかけられています。

前半の「大鬼神のつける人」とは、人々を不幸に陥れようとする魔性の働きがあらわれ出た権力者を指します。強大な権力が弾圧しようとしても、法華経を実践する大聖人は諸天善神に守られ、危害を加えられることはないと、確信を持っていくことを促されています。

迫害と戦う弟子たちに、妙法を受持し、弘める人は、どんな苦難も乗り越えられると教えられているのです。

そのために大切な姿勢が「月々日々に信心を強めていくこと」です。

仏法では、人生は仏と魔との戦いであると考えます。人間を惰弱にし、生命力を奪う「魔」の働きと、人々の可能性を引き出そうとする「仏」の働きが両方存在します。日々奮い起こす信心で魔がつけいる隙をなくすことで、心を強く、大きくし、人生をより良い方向へと進めることができるのです。

日蓮大聖人ご自身も、2度配流されました。それは嫉妬や反感に燃える悪意の僧たちの讒言(嘘の告げ口)によるものでした。拝読御文の直前で、大聖人の流罪が許されたのは、幕府の最高権力者たちが嘘を見破り、大聖人とその弟子の潔白に気付いたからであり、重ねて愚かなことをするはずがないと述べられています。

どんな謀略も「勇気ある信心」で立ち向かえば、必ず打ち勝ち、真実を明らかにできる。だから一歩も引かずに信心に励んでいきなさいと教えられているのです。

何事も絶対にうまくいく、必ず苦難を勝ち越えられる――そう確信することは、大きな力になります。人間が持つ可能性を信じ、引き出そうとする大聖人の渾身の励ましのメッセージです。門下たちが、どれほど励まされたことでしょうか。

目標とすべき人を見つけ、自身を信じてみよう 

日常生活の困難な状況に照らしてみれば、二つのことが重要だと感じます。

一つは、モデルケースの存在です。

「聖人御難事」では、大聖人ご自身が大難を勝ち越えられた「実体験」を通し、弟子を鼓舞しています。

同じような苦難の状況を勝ち越えた人の話を聞き、対処法を知ることは何よりの励みになります。

私も仕事で失敗し、何をするにも臆病になっていた時、先輩に話を聞いてもらい、立ち上がれた経験があります。その時、先輩は「自分もこうやって失敗してね」「だからこういうことに気をつけているよ」などと話してくれ、とても参考になりました。

苦境を乗り越えた自身の体験は、他の人に希望を送る力にもなります。いわば自身が「モデルケース」となっていけるのです。

もう一つは、自身の可能性を信じること。

「月々日々につより給え」との仰せは、自身の可能性を信じる心を持ち続け、向上への決意を強めていくことを表していると感じます。傲慢になってはいけませんが、悲観的な考えでは前に進むアイデアは生まれません。

よく言われるのは、頑張っている人ほど周囲の人に守られる、助けられるということ。仏法でも、心が強ければ諸天善神の守護も強いと言います。可能性を信じて必死に努力する人ほど、打開のチャンスをつかんでいけるにちがいありません。

池田先生は「聖人御難事」を通して、このように語られています。

「状況がどうあれ、怯まない。自ら決めた道を断じて進む。この強き一念の信心に立つとき、無限の智慧と勇気がわき、一切の勝利が開かれていく」(「大白蓮華」2015年11月号「世界を照らす太陽の仏法」)

大変な時こそ、今一度、自分の可能性を信じ、周囲の助けも借りながら、勝利の日々を歩んでいきましょう。

秋バテに負けず、頑張りましょう!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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