順風にも逆風にも動じない自分に 2024年8月度座談会拝読御書「四条金吾殿御返事(八風抄)」
創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。
スポーツ観戦が好きな筆者は先日、柔道の試合を観るため、日本武道館に足を運びました。武道の試合の観戦は初めてでしたが、次から次へと繰り広げられる熱戦の数々に、武道館を出る頃には、すっかり柔道の魅力にハマってしまいました。
観戦していて、一つ気付いたことがあります。勝利が決まった瞬間に、喜びをあらわにする選手がほとんどいなかったんです。少し不思議に感じました。
柔道部出身者によると、「それは、武士道の精神があるから」。「勝っておごらず、負けて腐らず」――武士道精神に由来しているといわれるこの言葉には、勝利の裏で負けて悔しがっている他者の気持ちに思いを馳せる、勝っても負けても全てを成長の糧にしていくなど、色々な教訓が込められていると思いますが、いずれにしろ「人間の道」を大切にする素晴らしい精神だと感じました。
今回の拝読御文は、人生を生き抜く上で、大切な教訓を教えてくれます。
拝読御書について
今回の御書は「四条金吾殿御返事」です。別名、「八風抄」と呼ばれる本抄は、日蓮大聖人が建治2年(1276年)または同3年(1277年)に身延でしたためられ、鎌倉の中心的な門下・四条金吾に送られたお手紙です。
当時、金吾は主君の江間氏を折伏したことで、江間氏から疎まれていました。江間氏は極楽寺良観(注)を信奉していたのです。
(注)極楽寺良観[ごくらくじりょうかん]
1217年~1303年。鎌倉中期の真言律宗の僧・忍性のこと。文永8年(1271年)、日蓮大聖人は良観に祈雨の勝負を挑んで打ち破ったが、良観はそれを恨んで一段と大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけた。それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった。
さらに金吾を妬む同僚たちが、「今が金吾を蹴落とすチャンス」と言わんばかりに、根も葉もない悪口を流したのです。
やがて、金吾に対して、領地替えの命令が下ります。今で言えば、職場で左遷されるようなイメージでしょうか。苦境に陥った金吾は、主君を所領問題で訴訟を起こそうとまで思い詰めるようになります。
金吾からの報告を受けた大聖人は、仏法の上からも道理の上からも、恩ある主君に仕えきっていくことが、人間としての正しい生き方であり、振る舞いであることを説かれました。
八風に侵されない人が賢人
本文
賢人は、八風と申して八つのかぜにおかされぬを、賢人と申すなり。利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみなり。おお心は、利いあるによろこばず、おとろうるになげかず等のことなり。この八風におかされぬ人をば、必ず天はまぼらせ給うなり。しかるを、ひりに主をうらみなんどし候えば、いかに申せども、天まぼり給うことなし。
(御書新版1565ページ3行目~6行目・御書全集1151ページ3行目~6行目)
意味
賢人とは、八風といって八つの風に侵されない人をいうのである。八つの風とは、利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみである。おおよその意味は、利益があっても喜ばず、衰えても嘆かないなどのことである。この八風に侵されない人を、必ず諸天は守護されるのである。それなのに道理にはずれて、主君を恨んだりすれば、どんなに祈っても、諸天が守護されることはないのである。
八風とは、人の心を動揺させ、仏道修行を妨げる8種類の働きのことを指します。
具体的には、利益を得て潤う「利い」、さまざまに損をして衰退する「衰え」、世間から軽蔑される「毀れ」、世間から誉められる「誉れ」、人々から称えられる「称え」、人々から悪口を言われる「譏り」、心身が苦しむ「苦しみ」、心身が楽しい「楽しみ」の八つです。
苦境の渦中にある金吾が、真っすぐに信仰の道を歩み抜けるように、八風に侵されない賢人になりなさいと呼び掛けられた一節です。
大聖人から慈愛あふれるアドバイスを受けた金吾は、その後、紆余曲折を経ますが、再び主君からの信頼を得るようになりました。さらに、従来にも増して新たな領地を受けることができたのです。それは、師の励ましの通りに信心を貫いたことによって、つかみ取った勝利の実証だったのです。
揺るがぬ自身を築く
八風の一つ一つの項目を見ると、気付くことがあります。衰・毀・譏・苦の四つは、誰もが避けたいマイナスなことです。
残りの四つはどうでしょうか。多くの人にとって利・誉・称・楽はプラスなことなので、一見、障害になりそうにありません。生活をしていく上で利益を得ることは重要だし、誉められたら一段と自信がつきそうです。
ところが、利・誉・称・楽で得られる幸福は一時的であり、いつかは消えてしまうものです。例えば、瞬間的な喜びも、お金や名声も、永遠に持ち続けられるわけではありません。このような条件に左右される幸福のみを追求する人生は、侘しいものになってしまうでしょう。
私自身にも苦い記憶があります。私は、中学・高校の6年間、陸上競技の短距離走に汗を流し、高校入学後には、東京都の強化選手に指定されました。
自分の高校から唯一選抜されたので、友達からは「すごい!」と声をかけられるようになりました。今、振り返ると、鼻高々になっていたのでしょう。次第に、練習に臨む姿勢に油断が生じるようになります。ある時、基礎練習をおろそかにしたせいで、全治数カ月のけがを負ってしまいました。
顧問の先生から温かくも厳しい言葉を受け、「自分が誉められたい」「チヤホヤされたい」という自己中心的な気持ちに覆われ、「もっと速く走りたい」「陸上を楽しもう」という目標や目的を蔑ろにしていたことに気付くことができました。その後は練習の準備に率先するなど地道な努力を重ね、高校最後の大会では自己ベストで過去最高位の成績を残すことができました。
肝心なのは、目先の利害や評判などに一喜一憂せずに、何ものにも揺るがない強固な自分を築くことだと感じます。創価学会員が日々の信仰や活動に励む目的も、ここにあります。
池田先生はつづっています。
「八風に侵されない『賢人』の生き方とは、別の言い方をすれば『負けない人』の異名ともいえるでしょう。学会が、大難の連続の中、なぜこれだけの大発展を遂げることができたのか。それは、尊きわが学会員の皆様が八風に動ずることなく、まっすぐな信心を貫き、断じて負けない人生を歩まれてきたからにほかなりません」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第17巻)
人生の途上において、八風が止むことはありません。順風でも逆風でも、成長の糧へと変えていけるのが「真の賢人」ではないでしょうか。どんな状況でも着実に一歩一歩進んでいく。この粘り強い実践の積み重ねが人生勝利の最大の要諦なのです。
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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