善き友として励まし合う 2024年7月度座談会拝読御書「三三蔵祈雨事」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

こんにちは。7月度担当のコゴローです。

本年9月、ニューヨークの国連本部で、史上初となる「未来サミット」が開かれます。

3月24日には、このサミットに若者・青年の声を届けることを目的とした未来アクションフェスが開催されました。とても感動的な取り組みでした。

学会青年部も「SGIユース」として、様々な若者団体・市民団体と協働し、イベントを支えました。私も友人を誘って一緒に参加できました。

核兵器や気候変動など、地球的規模の課題を解決する途上には、多くの障壁が立ち塞がっています。正直言って、私も〝一人で声をあげても……〟なんて考えていました。

でも、友人は私の誘いに応じてくれました。さらに、今回のフェスを共催した青年団体が、普段の活動形態の差異などを超えて、大きな目的観を共有して手を携え、連帯する姿に、希望を感じました。

一人の人間の力は小さいかもしれません。しかし、支え一緒に歩いてゆく人がいる――未来を志向する青年たちの「友情」に、無限の力を感じました。

今回の拝読御文には、「友情」がもつ力の大切さが説かれています。

拝読御書について

今月の御書は、「三三蔵祈雨事」です。

本抄は、日蓮大聖人が建治元年(1275年)6月に身延で著され、駿河国(現在の静岡県中央部)の富士上方西山郷に住む西山殿に送られたお手紙です。

西山殿は武士の門下で、居住する地名からそう呼ばれていましたが、実名(本名)など詳細は明らかではありません。大聖人から頂いた数々のお手紙によって、青豆や筍などの食物や金銭を大聖人にお届けしていることが分かります。

当時は、大聖人が予言した他国侵逼難(他国からの侵略)が的中し(文永の役)、人々は再びの襲来を恐れ、不安におののいていました。

社会が騒然とする中で、成仏のためには「善き友」を求め抜く信心が大切であることを教えられています。

本文

夫れ、木をうえ候には、大風ふき候えども、つよきすけをかいぬればたおれず。本より生いて候木なれども、根の弱きはたおれぬ。甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず。すこし健げの者も、独りなれば悪しきみちにはたおれぬ。

(御書新版1940ページ1行目~3行目・御書全集1468ページ1行目~3行目)

意味

そもそも、木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根の弱いものは倒れてしまう。弱く不甲斐ない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し頑健な者でも、独りであれば悪道に倒れてしまう。

古今、洋の東西を問わず、「友情」は人間の美徳として、たたえられてきました。

孔子「朋あり。遠方より来る。また楽しからずや」(金谷治訳注『論語』岩波書店)

キケロ「人生から友情を取り去るのは、この世界から太陽を取り去るようなもの」(中務哲郎訳『友情について』岩波書店)

アリストテレス「親友はいわば分割された(第二の)自己を意味する」(茂手木元蔵訳『アリストテレス全集14』岩波書店)

大乗仏教では、「縁起」という考え方が発展しました。あらゆるものは、さまざまな原因と条件が相互に関係しあって生じるという関係性にあり、いかなる物事も単独では成立せず、互いに依存し、影響し合う中に存在し得ると考えます。

人もまた同様で、大乗仏教の特徴に「利他の精神」があります。つまり、自分と他者との関係性が重視されているといえます。

釈尊は〝善き友を持ち、善き友と一緒に進むということは、仏道の全てである〟と語っています。ここでもまた他者との関係性がポイントになります。仏道修行は一人で行うのではなく、「善き友」を持って行うことが大切だという教えです。

日蓮大聖人は本抄で、木を植える場合、大風が吹いても、強い添え木を施せば倒れないとの譬えを用いて、「善き友」の大切さを教えられています。

さらに本抄では、「仏になるみちは善知識にはすぎず」(御書新版1940ページ・御書全集1468ページ)と言われています。「善知識」とは、正しい仏法の道へ導いてくれる存在をいいます。

(注)善知識[ぜんちしき]
よい友人・知人の意。「知識」とはサンスクリットのミトラの訳で、漢語として友人・知人を意味する。善知識とは、仏法を教え仏道に導いてくれる人のことであり、師匠や、仏道修行を励ましてくれる先輩・同志などをいう。善友ともいう。悪知識に対する語。

正しい仏法を信じて実践すると、それを妨げようとする働きが次々と競い起こってくるのですが、だからこそ、励まし支えてくれる師匠や同志、つまり善知識の存在が欠かせません。

「善き友」の重要性は、何も仏道修行に限ったことではありません。人生において、自分のことを励まし、希望をわかせ、向上させてくれる人がいれば、心強いですよね。

楽しい時はもちろんですが、苦しい時や悲しい時にも寄り添い、励まし、たたえ合いながら共に成長していける友人の存在はかけがえのないものです。

自分自身が「善き友」に

自分自身が励まされる一方ではなく、悩める人の心に寄り添い、共に成長していく――私たち創価学会員は日々、自分はもとより他者の幸福のために祈り、行動しています。

どんな人でも温かく迎える座談会をはじめ、「困ったことはない? 体調はどう?」と地域への声かけ等々、学会はまさに最大の「善知識」の団体といえます。混迷の社会にあって、希望と幸福をひろげる〝安全地帯〟にほかなりません。

また、本抄では「つよきすけ」「たすくる者強ければ」と強調されていますが、特別な存在が善知識であるということではありません。苦しみに負けずに立ち向かうありのままの姿こそ、同じ苦悩に沈む人にとって希望の灯となり、何よりの励みになります。

池田先生はこう述べられています。

「人間は誰しも無限の可能性を内在しており、かけがえのない尊厳を自ら輝かすことのできる力が備わっている。その尊厳の光が苦悩に沈む人々の心に希望をともし、立ち上がった人がまた他の人に希望をともすといったように、蘇生から蘇生への展転が広がっていく中で、やがて社会を覆う混迷の闇を打ち払う力となっていく」(第37回「SGIの日」記念提言)

〝こんな自分なんかが〟〝私一人の力じゃ〟と悩むこともあるかもしれません。でも、今を精いっぱい生きている、その姿自体が、誰かの希望の灯となるはずです。

私にしか、あなたにしか励ませない存在が必ずいます。昨日励まされた人が、きょう悩める人を励ます――この励ましの連鎖を、地域に社会に広げていくことこそ、無力感を打ち破り、明日の世界をぐっと良いものにしていくと信じます。

人と人とのつながりを大切に、友情を広げ、深めていきたいですね。

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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