目の前のことで精一杯でもOK! #LIFEwithGOSHO #ブディスタ

いよいよ夏本番!旅行はどこに行こうか?家族や友達と何をしようか?とワクワクする時期です(熱中症にはくれぐれもお気をつけて)。

一方で、私の現実の生活は、季節も関係なく、常に嵐の中にいるみたいなものです。

もうすぐ2歳になるわが子は、朝起きたら自らのフル充電を確かめるかのように全力で部屋の中を走り回り、散歩に行きたいというから外に出たはよいものの、すぐに抱っこを求め、帰ってきたらおなかがすいたと大声でアピールし、お風呂でバシャバシャと暴れ、夜にはパタンと電池が切れて、夢の世界へまた充電に…。

正直、大人の体力が持ちません(笑)。

けれど、もちろん仕事もある。家庭も絶対、大事にしたい!そして創価学会の活動も頑張りたい!!(一人でも多くの人に、この希望の哲学を伝えていきたいので)

こんな感じで、目の前のことで、いっぱいいっぱいな毎日を送っています。

息をつくのも忘れるような毎日の中で、GOSHO(御書)を開くと、日蓮大聖人のある言葉が目に飛び込んできました。

「一丈の堀」を越えられるか

「一丈の堀を越えられない者に、十丈・二十丈の堀を越えることはできない」(御書新版1229ページ・御書全集912ページ、現代語訳)

一丈とは長さの単位で、今の単位に直すと約3メートル。堀とは、城などを守るために、建物の周囲に掘られた溝のことを指すそうです。

3メートルの堀を越えるのも、とても大変そうですが、30メートル、60メートルの堀を越えるのはさらに大変です。当然、3メートルの堀を越えられないと、30メートル、60メートルというのは夢のまた夢ですよね。

当たり前といえば、当たり前ですが、忘れがちな物事の道理を、日蓮大聖人は教えて下さっています。

この道理は、鎌倉時代から約800年経った現代も同じ。
目の前の「一丈の堀」に必死になって挑戦して乗り越えていくことが、必ず未来の「十丈・二十丈の堀」に挑んでいくための良い経験となり、力となります。

「一丈の堀」は人それぞれです。
私にとっては、子どものことや時間のやりくりです。

「仕事がなかなかうまくいかず焦りを感じている」「苦手な人との関わり」などが「一丈の堀」という人もいるでしょう。

今はそういった「一丈の堀」を乗り越えるので精一杯でも大丈夫なんです、きっと。だって、たとえ一丈でも乗り越えていることは間違いないから。

「十丈・二十丈の堀」を越えることができるスーパーマンも、昔は「一丈の堀」にあくせくしていた時があったはず。

だから、この「一丈の堀」は、「必ず未来のスーパーな自分になるための道なんだ!」(堀ですが)と、そう自分を励まして、今日もまた、めまぐるしい一日を頑張っていきます!!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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