挑戦の心意気 2023年3月度座談会拝読御書「弥三郎殿御返事」
創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。
みなさん、こんにちは!ご機嫌いかがでしょうか?
3月度を担当するサツキです!
弥生3月といえば、旅立ちの季節。通勤途中で華やかな袴姿を見かけると、私も心が晴れやかになって、思わず「新しい舞台でも、がんばってね!」って声を掛けたくなります(もちろん、無言で見守っていますよ。怪しくないように)。
ただ、私が高校の卒業式を迎えた日、クラスの中には、まだ進路が決まっていない友だちもいました。これから大事な試験という子もいて、なんとかリラックスしてもらおうと、その子の大好きなお菓子をあげたり、いつも通りのたわいもないメッセージを送ったり、みんなで陰に陽にエールを届けていました。
今回の御書は、そんな大一番に挑んでいく時の心意気を示された御文です。“これから大きな挑戦をする皆さんに届きますように”との願いを込めて、「弥三郎殿御返事」を学んでいきます!
拝読御書について
「弥三郎殿御返事」は、1277年(建治3年)8月4日、日蓮大聖人が56歳の時に、身延の地から弟子の弥三郎に送られたお手紙です。
弥三郎について、詳しいことは分かっていません。在家の人物でありながら、念仏の僧侶と法論(仏法上の教義についての討論)を行うことになり、その報告に対して大聖人がアドバイスを書き送られたのが、このお手紙です。
この御書の前半では、主師親(注)の三徳をそなえた釈迦仏を仰ぐべきであるにもかかわらず、一つの徳もそなえていない阿弥陀仏を信仰することの罪を指摘されています。
(注)主師親[しゅししん]
一切衆生が尊敬すべき主徳・師徳・親徳の三徳のこと。①主徳は人々を守る力・働き。②師徳は人々を導き教化する力・働き。③親徳は人々を育て慈しむ力・働きをいう。
後半では、法論に挑む弥三郎のために、問いと答えを想定してセリフを記され、どの経文を引くべきかにまで言及されています。重要な舞台に臨む弟子への真心と、勝負に対して真剣な大聖人の思いが、胸に迫ってきますよね。
そして、具体的な“作戦”を伝えた後、お手紙の最後をしめくくるような形で記されたのが、今回の拝読範囲です。
生きてきたのは何のため
本文
ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。
(御書新版2085ページ7行目~9行目、御書全集1451ページ10行目~12行目)
意味
ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、自分が今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。
これこそ宇治川を渡す所だ。これこそ勢多川を渡す所だ。名を上げるか、名を下すかである。
お手紙が記されたのは、蒙古が攻めてきた文永の役(1274年)から3年後。またいつ来るとも分からない外国からの脅威に、人々は恐れを抱いていました。そして、年来の疫病によって、たくさんの人々が命を失っており、この“目に見えない敵”に対しても、どれほど怯えていたことでしょう。
そんな世の中を生きてきた弥三郎に対して、大聖人は、今まで生きてくることができたのは「このこと」にあうためなんだと仰せです。「このこと」とは、法華経を信仰することによって起こった難。南無妙法蓮華経を信じ、実践する各地の門下は、激しい圧迫を受けており、そうした中で生じた念仏僧との法論ですので、つまりは、この法論に挑んでいくために今まで生きてきたという深い自覚を促されていることになります。
生きてきたのは、何のため。その自覚の重要性を分かりやすく伝えるために、大聖人は、いくさの勝負所を例に挙げられています。それが宇治川・瀬田川(勢多川)です。
琵琶湖から流れ出る瀬田川は、京都に入ると宇治川へと名を変えます。琵琶湖はあんなに大きな日本一の湖ですが、実は、湖に流れ込む川はたくさんあっても、湖から流れ出ていく自然の川は、ただ一つ。それが瀬田川です。宇治川となり、やがて淀川となって大阪湾へ流れていくこの川が、かつて水運の要であったことは、言うまでもありません。
そして、都をめぐる攻防において、この川は要衝であり、瀬田橋や宇治橋の付近が勝負所だったとされます。攻め手が渡り切るか、防ぎ手が守り切るか。果敢に攻め、川を渡ることができれば、名を上げることができる最高の勲功になったと考えられます。
たとえば、昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも触れられていましたが、東から上ってきた源義経の軍が、京にいた木曽義仲の軍と戦った宇治川の戦い(1184年)。『平家物語』には、義経の軍勢である梶原景季[かげすえ]と佐々木高綱[たかつな]が、川を渡る先陣を争った場面が描かれています。また、日蓮大聖人の御聖誕の前年(1221年)、承久の乱においても、この川の攻防が勝敗を決しました。
「思い切る」ことが生む強さ
大一番を前にして、何かに未練を残して、モヤモヤしたままで臨んでしまえば、本来の力を発揮することはできません。せっかく、これまで頑張ってきた苦労や努力も、生かされずに終わってしまいます。それでは、悔いが残りますよね。
反対に、「今まで頑張ってきたのは、このためなんだ」と決めて、思い切って挑んでいくことができれば、それまで積み重ねてきたものが、いかんなく発揮されます。挑戦の後に、悔いが残ることはないでしょう。
大切なのは「ここが大一番だ」と自覚できるかどうか。それによって、思いっきり力を尽くせるかどうか。同じ挑戦の舞台に立っていても、その自覚の有無によって、物語の展開は異なってくるのではないでしょうか。
だからこそ、「ただひとえに思い切りなさい」。この一言に、勝負に挑んでいく心意気が集約されていると思います。
池田先生は、次のように述べられています。
「同じ戦うのなら、『断じて勝つ』と腹を決めて戦い切るのです。人は敵と戦う前に、己心の弱さに負ける。何よりもまず、その心中の賊に勝たねばならない。とともに勇気と蛮勇は違う。現実と真正面から向き合うところに真の勇気があります。そこから今、何を為すべきか、明瞭に見えてくるのです」(『信仰の基本「信行学」』)
まず、自分の弱さや現実と向き合う勇気が、大一番に挑戦する力強さを生みます。今までの自分の頑張りに自信をもって、それを生かすためにも、勇敢に、“思い切って”いきたいですね!
新しい門出を迎えた皆さん、そして、いろんなことに挑戦するすべての皆さんが、大切な舞台で悔いなく力を発揮できるよう、心からお祈りしています!
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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