何を信じる? 2023年2月度座談会拝読御書「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

2月担当のむさしです!

時間や日付を確認するとき、時計やカレンダー(スマホを含む)を見ますよね? でも、その時間や日付自体がズレていたり間違っていたりしたら、大変です。私はたまに、違う月のカレンダーを今月のものと勘違いして、混乱することがあります…。結果、この原稿の作成も、自分が立てた予定より少し遅れてしまいました(汗)。

私たちが時計やカレンダーを見て行動するのは、その確かさを「信じる」からです。当たり前のことですが、「信じる」ことによって私たちの生活は成り立っていますよね。人間関係も、仕事も、なんでも。

しかも、信仰(信心)は、文字通り「信」の営みです。それでは、日蓮大聖人の仏法では、いったい何を「信じる」のでしょうか。2月度座談会拝読御書を通して考えていきたいと思います!

拝読御書について

今回は「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」です。1277年(建治3年)8月23日、日蓮大聖人が56歳の時に身延(山梨県)で記され、門下の日女御前に送られたお手紙です。

日女御前の詳しいことは明らかではありませんが、頂いた御書の内容に基づけば、信心と教養の深い女性であったと考えられます。

御執筆の当時は、蒙古襲来(文永の役)後の混乱した状況にあり、「再び蒙古が攻めてくるのでは」との恐れから、社会は騒然としていました。

そうした中で純粋な信仰を貫いていた日女御前は、大聖人から御本尊(注1)を頂いた感謝を込めて、真心からの御供養を大聖人にお届けします。それに対する御返事が、今回の拝読御書です。別名を「御本尊相貌抄」と称する通り、『法華経』の虚空会(注2)の儀式を用いて顕された南無妙法蓮華経の御本尊の相貌(姿・様相)について詳しく述べられています。

(注1)御本尊[ごほんぞん]
本尊の尊称。信仰・修行の根本として尊崇する対象。特に絵画や立体像として制作された仏・菩薩などの像や、仏・菩薩などが集合する世界観を図顕した曼荼羅[まんだら]をいう。日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経を中心とする文字曼荼羅を御図顕された。
(注2)虚空会[こくうえ]
法華経の説法の場面の一つ。『法華経』28品のうち、見宝塔品第11の後半から嘱累品第22に至るまで、空中(虚空)に浮かんだ宝塔の中に、釈尊が多宝如来と並んで座って、説法が行われたことから、虚空会と呼ばれる。

そして、この信仰において大切なことを述べられたのが、今回の拝読箇所です。

信心の厚薄による

本文

南無妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこと、もっとも大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信をもって源とす。

(御書新版2088ページ8行目~10行目、御書全集1244ページ14行目~15行目)

意味

南無妙法蓮華経とだけ唱えて、成仏することが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は、信をもって源とする。

南無妙法蓮華経の題目を唱えることで、私たち一人一人にそなわる仏の生命境涯を湧現させ、成仏することができます。それは、何か特別な存在に変わるということではなく、それぞれの姿のままで、自身にそなわる仏という最高の人間性を引き出すことと言えます。

しかし、「ただ題目を唱えればよい」というものではありません。仏法は「信じること」が根本であり、源です。よって、信仰の実りは、信じる心(信心)が厚いか薄いか(強いか弱いか)によって決まるということです。もちろん、信心が厚い(強い)ことが重要です。

たとえば、『法華経』には舎利弗という、釈尊の弟子の姿が描かれています。舎利弗は「智慧第一」とたたえられるほど、弟子の中でも飛び抜けて優秀な人でした。しかし、その舎利弗でさえ『法華経』の教えは理解しがたい。そんな彼が教えを体得できたのは、「信」によるものとされました。「信」がどれほど大切なのか、よく分かりますね。頭の良し悪しではありません。

では、日蓮大聖人の仏法においては、そもそも何を信じるのでしょうか。それは、あらゆる人々の成仏をかなえる南無妙法蓮華経の教えであり、南無妙法蓮華経の御本尊です。この確信なくして、私たちの信仰は成り立ちません。

その上で、もう一重深い教えが、今回の拝読箇所の前に記されています。

御本尊は自分自身の中に

「この御本尊全く余所に求むることなかれ。ただ我ら衆生の法華経を持って南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり」(御書新版2088ページ・御書全集1244ページ)

信仰の根本となる御本尊は、自分の外側にあるのではなく、題目を唱えている私たち自身の内側にあるとの仰せです。姿としては、目の前にある御本尊に祈っていても、実は、自分自身の中にある御本尊に対して祈っている。それによって、尊い仏の生命境涯を自分の中から開くことができます。

つまり、大聖人の仏法の根本は、外にある何かを求めて信じるのではなく、自分自身にそなわる偉大な力を信じることにあると言えるでしょう。何かに依存して“すがる”ようなものではないのです。

ただ、“自分を信じる”と言っても、単に自分の現状を肯定するというものでもありません。「法華経を持って南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団」とある通り、題目を唱えていることに焦点がありますので、自分自身の可能性を信じて、力を引き出そうとする積極的な姿勢、その根底にある向上心が大切です。「強く」信じるなら、なおさらですよね。

池田先生は、次のように述べられています。
「人間は、違いもあるが、同時に、だれでも平等に『莫大な可能性』をもっている。(中略)自分を信じきるのです。他人と自分を比較して、小さな劣等感をもったり、優越感をもったりする生き方は、わびしい。『自分のもてる力を、全部、出しきって生きてみよう』と決心して、努力また努力を重ねた人だけが、本当に『個性的』に輝いてくる。そういう人であってこそ、他の人の個性も尊敬できるし、大切にできるものです」(『青春対話』)

自分の可能性を強く信じる。自分で自分をあきらめない。これが、大聖人の教えに基づく創価学会員の姿勢です。それは、みんなの可能性を信じるという生き方にも広がります。日常のさまざまな場面で、みんなで支え合いながら、向上心をもって進んでいきたいですね!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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