社会をつくるもの 2023年1月度座談会拝読御書「諸経と法華経と難易の事」
創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。
あけましておめでとうございます!1月度担当のレンタローです!
この一年、座談会拝読御書の内容を分かりやすくお伝えし、日々の糧にしていただけるよう、みんなで頑張ります。よろしくお願いします!
年が明けると気分も改まって、一年の目標を立てたり、夢を思い描いたりしますよね。趣味などのプライベートな目標のほか、「仕事で良い結果を出す」など、職場や社会生活での決意を立てた人も多いのではないでしょうか。年賀状やLINEで友達から目標を聞くと、私も励みになります。
そんな中で、ふと気づいたことがあります。特に創価学会の仲間から、ひと味違った決意を聞くことが多いな、と。それは「自分の職場を最高の場所にしたい!」というような職場目線のものです(管理職ではないのに…)。この発想の源は、1月度の座談会拝読御書から見えてきます。
拝読御書について
今回の御書は「諸経と法華経と難易の事」。日蓮大聖人が1280年(弘安3年)5月26日に身延(山梨県)で著され、下総国若宮(千葉県市川市)の富木常忍という弟子に送られたお手紙です。富木常忍が『法華経』に説かれる「難信難解」(注)について質問したことに対して、大聖人が回答された御返事です。この御書で大聖人は、『法華経』と、それ以外の教えを比較されています。
(注)難信難解[なんしんなんげ]
信じ難く理解し難いこと。易信易解に対する語。『法華経』法師品には、諸経の中で法華経が最も難信難解であると明かされている(創価学会版法華経362ページ)。仏が自身の覚りを直ちに説いた教え(随自意)は凡夫にとって信じ難く理解し難い。それゆえ、難信難解は仏の真実の教えである証拠とされる。
『法華経』以外の教えは、人々の機根(仏教を理解して信じ、実践する能力・資質)に合わせて説かれており(随他意)、信じやすく理解しやすいものの(易信易解)、仏の真実の教えを部分的にしか説いていない“不完全な教え”とされます。それに対して『法華経』は、仏が自身の覚りをそのまま説いており(随自意)、信じにくく理解しにくいけれども(難信難解)、真実をあますところなく示した“完全な教え”とされます。よって大聖人は、この御書で、『法華経』こそ一切衆生を成仏に導くことができる経典であると明らかにされています。
当時、流行していたのは『法華経』以外の、易信易解の随他意の教えでした。大聖人は、それらは成仏できない教えであり、正しい教えが埋没していると指摘され、今回の拝読箇所の内容を述べられました。
思想の乱れが世間の乱れに
本文
仏法ようやく顚倒しければ、世間もまた濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影ななめなり。
(御書新版1346ページ10行目~11行目、御書全集992ページ14行目~15行目)
意味
仏法が、このように次第に転倒したので、世間もまた濁り、乱れてしまった。仏法は本体のようなものであり、世間はその影のようなものである。体が曲がれば、影は斜めになる。
語句の説明
・「顚倒」(てんどう)
ものごとが逆さまになること。
体がまっすぐなら、影はまっすぐ。体が曲がれば、影も斜めになります。ここで大聖人は、仏法は本体のようなもの、世間はその影のようなものとされ、直感的で分かりやすい例を通し、仏法と社会の関係を説かれました。
「体が曲がる」というのは、仏教が社会に根付いてはいても、万人を成仏させられない“不完全な教え”が流行するような、転倒した様相を指します。それによって、「影は斜めになる」すなわち社会が濁り、乱れてしまったと述べられているのです。
では、なぜ教えによって社会が傾くのでしょうか。社会というと大きなスケールの話と思いがちですが、その社会をつくっているのは、間違いなく一人一人の人間です。ということは、流行している教えが乱れていれば、その教えをもとに生きる人々の心も行動も乱れ、そして社会も乱れていくことになります。
それに対して『法華経』は万人成仏を説いています。言い換えれば、あらゆる人々に尊い仏界(仏の生命境涯)がそなわっていることになります。万人を尊重する思想と捉えることもできるでしょう。みんなが互いを大切にし、敬意をもって接する生き方ができれば、社会が乱れることはありません。
社会が乱れてしまうのも、穏やかで平和的であるのも、一人一人がもとにする教えや思想によってしまうのです。思想と世相は深く結びついています。
大聖人は、人々を成仏へ導き、社会を安穏にできる教えである南無妙法蓮華経を弘めることに生涯をささげられました。信じやすく理解しやすい“不完全な教え”に捕らわれ、信じにくく理解しにくくても“完全な教え”を見失ってはならないと、警鐘を鳴らされたと言えます。
また、仏法が社会を支える教えであるということは、現実社会を離れて仏法は存在しないということでもあります。そして南無妙法蓮華経は、社会をより良く変えゆく力を持つ教えです。
正しい思想は社会と人生の柱
「体」と「影」を、私たちの身近なことに当てはめてみましょう。たとえば、職場です。営業成績で同僚と争っていて、もしみんなが他人を蹴落とそうとしたり、良い成績を達成できない人を圧迫しようとしたり、そうした考えが蔓延していると職場はどうなるでしょうか。きっと殺伐としますよね。みんなが疑心暗鬼になり、心身共に疲弊してしまうかもしれません。反対に、たとえ競争があって緊張感のある職場でも、互いに挑戦をたたえあい、学び合うような考えがみんなに根付いていれば、きっと健全な環境になるのではないでしょうか。
私たちは、会社、学校、地域の自治会、趣味のクラブ、そして家族・親族など、さまざまなコミュニティに属して生活しています。だからこそ、万人を尊重する『法華経』の思想に生きる私たち創価学会員は、どんな立場であれ、それぞれの「社会」を良くしていきたいと願っています。それが、冒頭に挙げたような「自分の職場を最高の場所にしたい!」という決意につながるのです。
私は、アパートで暮らしています。普段から住民の方に出会った時、自分からあいさつするように心がけてきました。ささやかな振る舞いですが、それだけでも心の距離が縮まっている気がします。気さくに声を掛けてくれる方が、アパート内で少しずつ増えてきました。このように、仏法を持った私たちの行動から、一歩また一歩と社会をより良くしていける確信を持っており、これを私たちは「仏法即社会」と表現しています。
池田先生は「正しき思想・哲学は、人生にあっては『鋼の背骨』であり、社会にあっては『黄金の柱』といってよい。一人の青年が、妙法という『生命の尊厳』の究極の法理を持ち、立ち上がるならば、家庭も、職場も、地域も、そこから必ず大きく変わっていく」(「大白蓮華」2013年3月号)と述べられています。
社会のため――それは実は、社会だけではなく、そこに暮らす自分と、自分にとって大切な周囲の人々のためでもあります。その志をもって、この一年も胸を張り、仏法者としての生き方を貫いていきたいと思います!
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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