社会をより良くするために―鎌倉時代のメッセージ
ここで質問です。日蓮大聖人の有名な著作と言えば、何でしょうか?
たとえば、高校の日本史教科書を開いてみると、主な著書は「立正安国論」(注)と記されています(『詳説 日本史B』改訂版、山川出版社)。他の鎌倉仏教の祖師たちは、教理書などが挙げられる中で、為政者・北条時頼に宛てた諫暁(いさめ、さとすこと)の書は、ひときわ異彩を放っています。
(注)立正安国論
1260年(文応元年)7月16日、日蓮大聖人が39歳の時、鎌倉幕府の実質的な最高権力者である北条時頼(前執権)に提出された国主諫暁の書。飢饉・疫病・災害などの根本原因は謗法(正法への誹謗)であると明かし、正法に帰依しなければ、経典に説かれる三災七難のうち、残る「自界叛逆難(内乱)」と「他国侵逼難(外国からの侵略)」が起こると予言。しかし幕府はこの諫言を用いることはなかった。二難はそれぞれ1272年(文永9年)の二月騒動、1274年(文永11年)と1281年(弘安4年)の蒙古襲来として現実のものとなった。
でも、伝来して以降、鎮護国家(国家の災いをしずめて安泰にすること)の役割を担って発展したのが日本の仏教です。正しい教えによって国を安穏にするという立正安国の思想は、その流れの上にあると言えるかもしれません。
ただ、主に貴族や高位の人々が帰依してきた旧来の仏教の中から、庶民の間に広がる新たな流れが起こったのが鎌倉時代です。とりわけ「立正安国論」には、高い地位から世を論じるような“上からの目線”ではない、庶民の側から為政者に訴える“下からの目線”があふれています。そこから、“仏法者がなぜ政治に関わるのか”というまなざしも浮かび上がってきます。
慈悲からの批判
「旅客来って嘆いて曰わく、近年より近日に至るまで、天変地夭・飢饉疫癘、あまねく天下に満ち、広く地上に逬る……」(御書新版24ページ・御書全集17ページ)
主人と客人との対話形式である「立正安国論」は、世の災いを憂う客人の嘆きから始まります。天変地異、飢饉、疫病……。庶民が苦しみあえぐ、生々しい描写。そして主人も「客来って共に嘆く」(御書新版25ページ・御書全集17ページ)と語っています。まさに大聖人ご自身が抱いた苦しみであり哀しみでした。
大聖人は、社会的に見れば、いわゆる高僧ではありません。庶民の生活を間近に見つめ、その嘆きや苦しみを深く知るからこその目線なのです。
「立正安国論」は、誤った教えを信じる客と、その客を正しい教えに導こうとする主人の問答が続きます。最後のセリフで主人はこう語ります。
本文
汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を禱るべきものか。
(御書新版44ページ・御書全集31ページ)
意味
自身の安心を考えるなら、あなたはまず社会全体の静穏を祈ることが必要ではないのか。
執権職を離れても、実質的な最高権力を握っていた時頼に対する、大聖人のメッセージです。為政者としてのあるべき姿勢を訴えられたこの言葉はもちろん、社会と個人、環境と自分自身が不可分であるという仏法の思想に基づきます。
また「立正安国論」で大聖人は、主に法然の専修念仏を批判されましたが、単に教理的に批判されたのではありません。
「一代の聖教を破し、あまねく十方の衆生を迷わす」(御書新版30ページ・御書全集22ページ)
「あるいは捨て、あるいは閉じ、あるいは閣き、あるいは抛つ。この四字をもって多く一切を迷わし」(御書新版32ページ・御書全集23ページ)
「悲しいかな、数十年の間、百千万の人、魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり」(御書新版33ページ・御書全集24ページ)
「捨閉閣抛の字を置いて、一切衆生の心を薄んず」(御書新版35ページ・御書全集25ページ)
どれも、多くの人々を惑わせたことを糾弾されています。人々を思いやる慈悲の発露としての批判であり、諫暁なのです。
大聖人の為政者観
為政者のあるべき姿の訴えは、幕府の有力者・平左衛門尉頼綱に宛てた書にも見られます。
本文
貴殿は、一天の屋梁たり、万民の手足たり。
(御書新版856ページ・御書全集171ページ)
意味
あなたは天下を支える梁であり、民衆のために働く手足である。
人々のために手となり足となって働く。これが大聖人の為政者観です。
大聖人から為政者への訴えは、庶民の苦しみを知るがゆえに、“人々のため”という一点に貫かれているのです。鎌倉時代は、現代のような主権在民の時代ではありません。だからこそ、いま世を治める為政者たちの心根の変革こそ、より良い社会を創る第一歩であったとも言えるでしょう。
仏法は何のためか
仏法と社会、そして政治との関わりについて、大聖人の考えがよく表れているのが、次の御書です。
本文
智者とは、世間の法より外に仏法を行わず。世間の治世の法を能く能く心えて候を、智者とは申すなり。
殷の代の濁って民のわずらいしを、太公望出世して殷の紂が頸を切って民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし、張良出でて代をおさめ民の口をあまくせし、これらは、仏法已前なれども、教主釈尊の御使いとして民をたすけしなり。外経の人々はしらざりしかども、彼らの人々の智慧は、内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。
(御書新版1968ページ・御書全集1466ページ)
意味
智者とは世間の法以外に仏法を行ずるのではない。世間において世を治める法を十分に心得ている人を智者というのである。
中国の殷の時代に世の中が乱れて、民衆が苦しんでいた時、太公望が世に出現して、殷の紂王の頸を切って、民衆の嘆きを止めた。秦の二世王が民衆の生活を苦しめた時には、張良が出て、世の中を治め、民衆の生活を豊かにした。これらは、仏法が中国に伝わる以前のことであるけれども、教主釈尊の御使いとして民衆を助けたのである。仏教以外の諸教を信ずる人々は意識しなかったけれども、これらの人々の民衆を救った智慧は、その内心においては、仏法の智慧を含み持っていたのである。
古代中国の太公望、張良という二人の人物を取り上げられています。両者とも、庶民が苦しんでいた世の中を良く治め、人々を助けた善政の例です。仏教伝来前のことですが、大聖人は彼らを「教主釈尊の御使い」とし、人々を救った彼らの智慧には仏法の智慧が含まれていると表現されました。さらに、これに続く御文では、世が乱れた現在において、賢明な国主がいたならば大聖人ご自身を用いたにちがいない、とまで述べられています。
仏法は、苦しむ人々を救っていくためにある。その仏法の智慧は、治世(世を治めること)において発揮すべきであり、大聖人ご自身がそれを願われていたのです。
だからこそ大聖人は、より良い社会を創るべき為政者たちに、そのあるべき姿を訴え、何度も諫言されました。命に及ぶような迫害に遭っても。
一切衆生の幸福のため。この大聖人の深い慈悲が、「立正安国」を願い行動された御生涯に貫かれています。
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— soka youth media(公式) (@YouthSoka) December 16, 2022
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