人生の必勝法とは? 2022年6月度座談会拝読御書「四条金吾殿御返事(法華経兵法の事)」
創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。
みなさん、こんにちは! 6月度担当のくまたです。
スポーツでもゲームでも、勝負事にはセオリーとなる戦法とか「必勝法」とかがありますよね。確かにそれを知っていれば、たとえ手ごわい相手でも、自信をもって挑んでいけそうです。
では「人生の必勝法」みたいなものってあるんでしょうか。何が起こるか分からない現実の中で、どんな不本意なことがあっても、自信をもって生きていけるものが…。
「ある!」と断言されたのが日蓮大聖人です。では、それは一体何でしょうか? なぜ「必勝法」と言えるのでしょうか? 6月度の座談会拝読御書「四条金吾殿御返事(法華経兵法の事)」から考えていきたいと思います!
拝読御書について
「四条金吾殿御返事(法華経兵法の事)」は、1279年(弘安2年)10月23日、日蓮大聖人が58歳の時に身延(山梨県)で記された、門下である四条金吾宛てのお手紙です。
四条金吾は、鎌倉で暮らしていた武士であり、大聖人の在家の弟子では中心的な存在でした。武芸だけでなく医術にも優れ、仕えている主君の江間氏から、あつい信頼を受けていました。
しかし、1274年(文永11年)のことです。日蓮大聖人が佐渡流罪(注1)を赦免された(ゆるされた)ことを心から喜んだ金吾は、その純粋な思いのままに、自身の信仰を主君に勧めます。しかし主君は、大聖人と敵対していた真言律宗の僧・極楽寺良観の信奉者だったんです(!)。
(注1)佐渡流罪
日蓮大聖人が1271年(文永8年)、不当に佐渡へ流刑された法難。約2年5カ月に及ぶ佐渡滞在中は、衣食住も満足ではなく、敵対する念仏者らにも命を狙われるという過酷な環境に置かれたが、「開目抄」「観心本尊抄」など数多くの重要な御書を著され、門下たちに励ましの書簡を多数送られている。
主君は金吾を遠ざけるようになり、また、金吾の同僚たちも主君に対して、うその告げ口をします。結果、金吾は、主君から『法華経』の信仰を捨てるよう圧迫を受けたり、領地の没収を言い渡されたりします。信頼が大切な鎌倉時代の主従関係なのに、四面楚歌の窮地に立たされてしまったのです…。
そんな金吾のことを、大聖人はあたたかく励まされました。状況に惑わされず、信仰を根本に生きていくこと。大恩ある主君を怨んではいけない。みんなから良い人だと慕われるようになること――。
金吾は、大聖人の指導の通りに忍耐強く、主君への誠実な振る舞いを貫いたことで、やがて信頼が回復し、新たな領地を受けるまでになりました!
しかし、その後も金吾には、敵対者からの攻撃が絶えません。今回の「四条金吾殿御返事(法華経兵法の事)」は、「敵に襲われましたが、難を免れました」という金吾からの報告に対して、大聖人が送られたお手紙です。
法華経の兵法で乗り越える
本文
なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。「諸余の怨敵は、みな摧滅す」の金言むなしかるべからず。兵法・剣形の大事もこの妙法より出でたり。
(御書新版1623ページ9行目~・御書全集1192ページ15行目~)
意味
どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いなさい。「その他の敵は、皆ことごとく打ち破る」(『法華経』薬王品)との金言は、決して空言であるはずがない。兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである。
語句の説明
・「諸余の怨敵は、みな摧滅す」
『法華経』薬王品の文で、法華経を受持する無量の功徳によって、一切の魔を打ち破ることができ、それ以外のさまざまな敵をも打ち破ることができる、との意。
・「兵法・剣形の大事」
兵法(戦闘の作戦・戦術)と剣形(剣法・剣術)の根本・真髄。
ここでは戦術を指す「兵法」という言葉が出てきますね。武士である四条金吾にとって分かりやすい表現を選ばれた、大聖人の思いやりを感じます。でも、兵法は兵法でも「法華経の兵法」です。仏の教えが兵法???
「法華経の兵法」を用いるとは、南無妙法蓮華経の御本尊への強い祈りによって、自分自身に湧き上がってくる智慧と勇気をもって、苦境の中で生きていくということです。それは外の敵を打ち破るというよりも、自分自身の内にひそんでいる無明(注2)、すなわち根本的な迷いと戦っていくことでもあります。
(注2)無明
真理に明らかでないことを意味する。仏教では生命の根源的な無知・迷い・癡(おろ)かさであり、一切の煩悩を生む根本とされる。
大聖人は、南無妙法蓮華経の信仰を貫けば、あらゆる苦難を根本的に勝ち越えていけることを、『法華経』の「諸余の怨敵は、みな摧滅す」という文を引いて説明されています。
また、「兵法・剣形の大事もこの妙法より出でたり」とあります。『法華経』は、あらゆる人々の中に仏と等しい最高の生命境涯がそなわっていることを説いた経典です。そして南無妙法蓮華経によって、その無限の力を開くことができます。一般的な兵法や剣術はその力を引き出す法則を部分的に解き明かしたにすぎず、『法華経』の信仰を根本にしてこそ、世間にある具体的な方法を生かしていけると捉えることもできるのではないでしょうか。
臆病では何も成就しない
本文
ふかく信心をとり給え。あえて臆病にては叶うべからず候。
(御書新版1623ページ10行目~・御書全集1193ページ2行目)
意味
深く信心を起こしなさい。臆病であっては、何事も叶わないのである。
大聖人は、南無妙法蓮華経を信じる心を奮い起こすよう、金吾に呼びかけられています。臆病であっては何事も成就できない、と。
生きていく上では、いろんな試練や苦難が襲ってきます。それらに立ち向かっていくためには、確かに勇気が必要ですよね。では、その勇気はどこから出てくるのでしょうか?
それもまた自分の「心」です。周囲の人や出来事、物語から勇気をもらうことはあっても、いま目の前の現実の中で勇敢に進んでいけるかどうかは、結局は自分次第です。その自分自身の勇気を奮い起こし、立ち向かっていくのが、南無妙法蓮華経の信仰なのです。
池田先生は、次のように記されています。
「自身が妙法の当体であると信じて、今いる場所で、現実の課題に挑戦する。そこにこそ『勇気』があるのです。そこに『法華経の兵法』は発揮されるのです。そこに『勝利と栄光の不滅の歴史』は築かれていくのです」(『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻)
戦法や必勝法は、実践する中で有効だったので、歳月が経っても今日まで残ってきました。それは「法華経の兵法」も同じです。
ネガをポジに、悲観を楽観に、不信を自信に、迷いを確信に――。「法華経の兵法」を使い、南無妙法蓮華経によって心を善の方向に転換し、勇気を奮い起こす中で、病苦や経済苦、また性格など内面の悩みなどを乗り越えてきた信仰の体験を、たくさんの創価学会員がもっています。
「人生の必勝法」とは、自分自身の心をより良く変えていくための方法です。そして、自分の中から何にも負けない勇気を引き出す「法華経の兵法」のことなのです。
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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