師弟を考える 2022年4月度座談会拝読御書「四菩薩造立抄」
創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。
4月度担当のむさしです。こんにちは!
創価学会では「師弟」という言葉をよく使います。私たちの世代が日常の生活の中で「師弟」という言葉を使うことって、なかなかないですよね。一般的には、あまり馴染みのない、どこか堅苦しい印象があるかもしれません。
でも、師弟を「教える側」と「教わる側」と言い換えればどうでしょうか? それなら学校はもちろん、仕事でもスポーツや芸術、趣味でも、いろんなところで見られる関係ですよね。
特に仏法は、人々を幸福に導くものですので、教えを正しく伝えてくれる師匠が必要です。今回は、仏法の師弟のあり方について、「四菩薩造立抄」を学びたいと思います!
拝読御書について
「四菩薩造立抄」は、1279年(弘安2年)5月17日、日蓮大聖人が58歳の時に身延(山梨県)で記され、下総国(千葉県)の門下である富木常忍に送られたお手紙です。
富木常忍は、大聖人の立宗宣言(注1)から間もないころに入信した、門下の中心的人物です。鎌倉幕府の有力な御家人(注2)である千葉氏に仕えた家臣でもあり、教養と学識があったので、文字の読めない門下に、大聖人の教えを読み聞かせて伝える役割もしていたそうです。
(注1)立宗宣言
1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時に、安房国(千葉県)の清澄寺で、末法の人々が信ずるべき成仏の根本法は南無妙法蓮華経であると宣言されたこと。
(注2)御家人
鎌倉時代に将軍と主従関係を結んでいた武士。所領を与えられ、または旧来の所領を保障され、守護・地頭の職に任じられた。
「四菩薩造立抄」の前半では、本門の教主釈尊(注3)とその脇士である四菩薩(注4)の像が造立されるのはいつか、という質問に対して、末法の初めに上行菩薩が出現して造立することが示されます。
(注3)本門の教主釈尊
『法華経』において教えを説き、本門(『法華経』の後半)の如来寿量品において久遠(長遠な過去)に成仏していたこと(久遠実成)を明らかにした釈尊のこと。
(注4)四菩薩
ここでは『法華経』に登場する地涌の菩薩の上首(リーダー)である上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩のこと。大聖人が書き顕された御本尊では、南無妙法蓮華経の題目を中心に、そのそばに釈尊(および多宝如来)、さらにその脇に四菩薩がしたためられている。
そして、末法(注5)という時に御本尊を顕され、上行菩薩の役割を担う御自身のことを、「世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法をもって論ずれば一閻浮提第一の富める者」(御書新版1339㌻・御書全集988㌻)と、喜ばれています。
(注5)末法
仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。
また、お手紙の後半では、当時、自分勝手で誤った教義を唱える者がおり、そのことを心配された大聖人が、これまで長い間、富木常忍に教えを言い含めてきたように、常忍が人々に教え諭していくことを促されています。
修行は「日蓮がごとくに」
本文
総じて、日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は、日蓮がごとくにし候え。さだにも候わば、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。
(御書新版1341ページ3行目~・御書全集989ページ11行目~)
意味
総じて日蓮の弟子といって法華経を修行する人々は、日蓮のようにしなさい。そうするならば、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、十羅刹女も必ず守護されるであろう。
語句の説明
・「多宝」
『法華経』見宝塔品で出現した多宝如来のこと。釈尊の説いた『法華経』が真実であることを保証した仏。
・「十方の分身」
衆生を教化するため、十方(東西南北の四方と、東北・東南・西北・西南の四維と、上下の二方を合わせたもの。空間的に全宇宙を表している)の世界に身を分かち現した仏のこと。
・「十羅刹」
諸天善神として、正法を持つ人を守る10人の女性の羅刹(悪鬼)のこと。
大聖人の弟子として修行する人々は、師匠である大聖人の通りに正しく実践しなければならないと述べられています。つまり、弟子の側が師匠からしっかりと学び、その教えを正しく実践していくために、「師匠のごとくに」という姿勢を訴えられていることになります。
拝読御文の後半では「釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、十羅刹女も必ず守護されるであろう」と仰せです。これらの存在は、法華経の修行者を守護する働きをします。その修行者が正しい実践をしているからこそ守りますので、まさに大聖人が末法における正しい修行者であるというご確信にほかならないと思います。
確かに、何ごとも自分勝手では、なかなかうまくいかないですよね。スポーツであれ、仕事の技術を身につけることであれ、指導してくれる人に習わなければ、うまく習得できないですし、過去の人々が苦労して残してきた技や経験を活かすこともできません。場合によってはケガをする可能性もあります…。複雑なプラモデルを作ることであっても、説明書を読む必要があるでしょう。独創性や自己流といっても、最初は模範をまねるところから始まるはずです。
また、生きていく上で、自分の心を中心にすれば、時にわがままになってしまいます。しかも、心はたえず揺れ動くので、自分の心のままに生きているはずが、気づけば周囲に振り回されていた…なんてことさえありえます。“ブレない自分”を作るためには、人生の“軸”が必要なんです。
ましてや、生き方の根幹にかかわる信仰においては、正しい師匠に学ぶことが不可欠です。自分の都合のいいように教えを曲解してしまえば、信仰の道を誤ってしまいます。それだけではなく、周囲を惑わし、他人の幸福を閉ざすことにもなりかねません。なので大聖人は、そうした存在や、それに影響されることを厳しく戒められているのです。弟子に正しい道を歩ませたいという深い慈愛を感じませんか?
師弟不二の生き方
「師匠のごとくに」という姿勢は、師匠が説いた教えと、師匠の行動の両面にわたると思います。
創価学会では、師匠と弟子のあるべき関係を「師弟不二」と表現します。「不二」とは、異なる二つのものが、本質的には分かち難く一体であるという、仏教の考え方です。つまり、師匠と弟子は、別々の存在でありながら、一対一の関係で結びつき、同じ思いで信仰に励む姿を表しています。そのためには、弟子の側が「師匠のごとくに」との姿勢で、師匠の教えと行動を学び、継承していくことが求められますよね。
創価学会は、日蓮大聖人の御書を通して、教えと行動を徹して学び、実践してきたことによって、世界192カ国・地域に広がってきました。大聖人の御精神を現代に正しく展開して、その教えを広げてきたのが創価学会の初代・第二代・第三代会長であり、創価学会員はその思想と行動を模範としています。
池田先生(第三代会長)は、「揺るぎなき『心の師』をもつことが大切です。私の心には、常に戸田先生(第二代会長)がおられます。今でも、毎日、対話しています。先生なら、どうされるか、どうすれば、先生に喜んでいただけるか――。心に、この原点があるから何も迷わない。何も怖くありません」(『未来対話』)と語られています。
正しき「師弟不二の道」を歩み抜くことが、人間として最高の生き方であることを、日蓮大聖人の仏法は教えているのです。
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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